ハージェント家の天使
「ああ。ヴィオーラ殿が腕の良い理髪師を紹介してくれたんだ」
 リュドはうなじで結んでいる後ろ髪に触れると、嬉しそうな顔をしたのだった。
「あのね。お兄ちゃん。この間は、髪を切ってあげられなくて、ごめんなさい」
 モニカは俯きながら話すと、リュドは「えっ!?」と言ったのだった。
「まだ気にしていたのか? 私は気にしていない」
「でも……」
「私の方こそすまなかった」
 モニカが何か言わなければと思っていると、今度はリュドが謝ったのだった。

「昔とは違って、男爵夫人になったモニカに、無粋な事を頼んでしまった。本来、あのような事は、貴族の女性がやるべきではないだろう。恥をかかせてしまったのならすまない」
 散髪は貴族の女性ではなく、その使用人を始めとする下々の者がやる仕事だ。
 身を寄せ合って2人で暮らしていた昔とは違い、男爵夫人となったモニカに頼むべきではなかったと、リュドは言いたいのだろう。

「そんな……。お兄ちゃんは悪くないよ! 私が悪いの!」
「いいや。モニカは悪くない。悪いのは気軽に頼んでしまった私だ」
 お互いに自分が悪いと言い合っていた2人だったが、やがてどちらともなく笑い合った。
「今度は、切らせてもらってもいい?」
「それは構わないが……。いいのか? 男爵夫人がそんな事をして」
「いいの。身分や立場は関係ない。お兄ちゃんはお兄ちゃんだからね」
 丁度、アガタがお茶の用意をして部屋に戻って来たので、2人はひと息入れる事にしたのだった。

「まさか、謝る為だけに、わざわざ屋敷までやって来たのか?」
 リュドはティーカップをテーブルに置きながら訊ねてきた。
 両手でティーカップを包むように持っていたモニカは目を伏せたのだった。
「それもあるんだけど……。1番はお兄ちゃんとちゃんと話したくて」
「私と……? しかし、一体何を?」
 モニカはティーカップを置くと、リュドを真っ直ぐに見つめた。
「お兄ちゃん。たくさん心配掛けてごめんね。階段から落ちて怪我をした時も、今も心配ばかり掛けて……」
 階段から落ちた事や、嫁ぎ先で不安や心配は無いのかと、リュドはとても気にかけてくれていた。
「だから、これだけはお兄ちゃんにちゃんと伝えたいって思ったの」
「何を伝えたいんだ?」
 首を傾げるリュドを見ていると、モニカの心臓の鼓動はどんどん速くなっていった。
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