その呪いは、苦しみだけではなく。
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面倒くさい。
消えてしまいたい。
どうせ私は、彼以外を好きになることはない。
祖母が買ってくれたイヤリングを付けながら、彼の好きだった私から十八年が過ぎてしまった自分を見る。
綺麗だと笑ってくれるだろうか。
オバサンだと笑うだろうか。
私の中の恋人は、太陽のように真っ直ぐで純真無垢な十三歳の少年だ。
いつも私に元気をくれた彼は、最後に私へ呪いをかけたのだった。
それは一生、彼以外には解けない呪い。
***
「美織、やっぱり着物ぐらい着た方がいいんじゃないの」
口やかましい母が、ワンピースに着替えた私を見て、強い口調で言ってくる。
イヤリングを触りながら、私は頑としてその言葉を払いのけた。
「勘弁して。この歳で着物なんて着て、張り切っている方が噂されるでしょ」
「でもぉ」
「誠弥くんとは今日は洋服って話を合わせているの」
いい加減にして、と母を追い払うと、家の前でタクシーが停まっていた。
家が隣同士なんだからどちらかの家でいいのに、わざわざ料亭で食事らしい。
この地域で一番大きな料亭『胡蝶蘭』で、何の因果か亮くんの実家だ。
ご両親はちゃきちゃきしていて、ズバズバと何でも物を言う裏表のないはっき
りした性格で、亮くんが亡くなったときも号泣はしていたが、一緒に居た私を責めることはなかった。
逆に辛い思いをさせてごめんねと謝ってくれたぐらい、性格の出来ている人たち。
今は亮くんのお姉さんがそこを継いでいるはずだ。
「美織ちゃーん」
タクシーで到着してすぐ、着物が着崩れるのも構わないと走ってきたお姉さんが、私の顔を見てぱあっと顔は輝かせた。
「やーん。美織ちゃんってば綺麗ねえ。全然、老けないじゃない」
「蘭子さんってば。自分の方が老けてないですよ」
「私は若い客や旦那の血を吸ってるからね。美織ちゃんの血も吸っちゃうぞお」
にかっと笑う蘭子さんは、自慢の八重歯を見せてくる。本人は笑い話にしているものの、中学の時に通学中の満員バスで、急ブレーキを踏まれたときに目の前の相手に八重歯が当たり、怪我をさせた事があったらしい。それで吸血鬼やなんやらと軽く虐められたのを、こんな風に自分の武器にして笑っているのだから強い人だ。
「今日はさ、一番良い榊の間を用意したのよ。はりきってお花から襖から全部張り替えたから」
「そこまでしなくても」
「あらあら、本当にありがとございます。そういえばお正月に、胡蝶蘭のお節が美味しかったって評判でしたよ」
「あら、おばさま。そうなんですよお。50個限定にしたんですけど、もう来年の予約のご連絡いただいてまして。あとでパンフレット貰って帰りますか?」
「是非是非」
うちの母との会話を引き受けてくれたので、私はお庭を見ながらのんびりと二人の後を歩く。
縁側から見える庭は、春の名残を感じる桜の木々が風にそよいでいる。地面は綺麗に掃除されているが、まだ数カ所、花が残っている木々は、揺れる度に花弁を落としている。
池に浮かぶ花弁を、餌とは勘違いせずに泳いでいる鯉。その昔、亮くんが金魚をこの池に放ったら、翌朝には姿形も無くなっていたとしょんぼり話してくれたことを思い出した。
「あらあ、すみません。おまたせしてしまいまして」
母の声が一オクターブ高くなったので、蘭子さんは私を見て苦笑する。
「では、お食事を用意いたしますね」
座敷で座っている誠弥くんたちに挨拶した後、蘭子さんは私の肩に手を乗せて、微笑んでくれた。
私の回りには優しい人が溢れている。
優しい人たちには、呪いの言葉は伝えていない。