君の音に近づきたい
『楽しむ、なんて言ってる奴、俺が一番関わりたくない人間だよ。勝手に楽しくやってろ。俺には関係ないからな。でも、もう俺に近付くなよ。その顔を見せるな』
私は、二宮さんにそう言われたのだ。
ピアノに対して楽しいと思うことを、あんなにも嫌っていたのに。
私の演奏から、楽しさは伝わって来たと言ってくれた。
舞台の上で言われた講師の言葉に上書きするように、二宮さんの言葉が胸に広がって行く。
「明後日、俺の公開レッスンがある。そこで教えてやるよ、今の俺の音がどんなものか」
「え……?」
「その耳かっぽじって、聴いておけ。じゃあな」
は? え――っ?
またも一方的に言いたいことだけを告げて、立ち去ってしまった。
俺に近付くなとか、顔見せるなとか、そう言ったのは二宮さんなのに。本当に勝手だ。
なんだかよくわからないけれど、ただ、私の目から涙は完全に引いていた。
公開レッスンのことよりも二宮さんの言った言葉ばかりを考えながら、教室へ戻るため廊下を歩いていた。
「あ、あのっ、桐谷さん……っ!」
背後から誰か私を呼ぶ声がする。
その声に振り返ると、一人の男の子が私に向かって走って来るのが見えた。
「えっと……、林君。どうしたの?」
確か同じクラスの男の子だ。私と同じピアノ専攻だったはず。
まだ、ちゃんと言葉は交わしたことはない。
「ああ、うん。あのね」
私の前にたどり着くと、膝に手を当て呼吸を整えながら口を開いた。
「その……、大丈夫かなって」
私の様子をうかがいながら、言葉を選んでいるみたいだ。その大きな目が、私を見ている。
「あぁ、さっきの私の公開レッスンのこと?」
もしかして、気にして声を掛けてくれてるのだろうか。
「僕も同じだから! 僕のレッスンも散々だった。ホント、情けない。だから、君だけじゃないよ!」
林君が、突然前のめりになって声を上げた。