やわらかな檻
 記憶はある。やたら注目を浴びたことを覚えている。

 とすると、慧がまだ女装を続けていた頃だ。

 だいたい年代を絞れてきたのも束の間、長い思考時間に痺れを切らした慧が呟いた。


「貴女がツリーを持ち出したその、たった数日後。一番最初に買ったオーナメントです」
「……十年前ね」

「本当に、貴女は時々残酷になる」


 スノーマンの人形が倒れた。
 居場所をなくした赤い長靴は他のオーナメントと共に脇へ寄せられ、ボールは和室の端へ転がって行き、境界線を壊した手が代わりに畳へ居座る。

 手の平を押し付けたせいか手首の静脈がはっきりと見えた。

 足を崩していたのが仇になり、座高で負けた私が慧を見上げる体勢に変わる。

 後ろに壁はない。

 支えられているのは背中でなく後頭部で、逃げようとすれば容易に逃げられる。

 けれどなくなった距離を再び取り戻そうとは思わなかった。


「どうして?」

 私に言わせれば残酷なことをしているのは慧の方だ。しかし間近にある漆黒は不機嫌そうに細められて。

「大事な思い出を忘れておいて別のことは覚えている。習慣だからと言って毎年ペアのオーナメントを一つ買い足す。かと思えばクリスマスに別の男と出かける」

「っ、それは……!」


 慧のためだ。
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