こんなにも愛しているのに〜すれ違う夫婦〜
「毎日室長と一緒に仕事ができるんですもの。」

そう言って微笑む斉木に
俺はあの日に戻って、斉木を見つけなければよかった。
と思った。

「それから、仕事を能率よくする努力をして、室長の補佐をして、一緒に残業して
うまく行くたびに、ご褒美と称して、素敵なレストランに食事に
連れて行ってもらいました。
私が、奥様ともこうやってお食事に行かれるから、
おいしいところをご存知なのですか?って尋ねたら、
そういえば妻と二人で食事に行ったのっていつだったかな。。。
こうやって
笑いながら食事をしたこともここのところなかったな、、、
ですって。」

「。。。。。」

俺は斉木相手に、うっかりそんなことを言ってしまったのか。

「室長。そんなこと言われたら、私は奥様に勝ったって思っちゃいましたよ。
奥様と食事にも行かれないのに、こうやって私が喜ぶようなレストランを
見つけて予約して、連れて行ってくださるんだって。
二人でこうやって他愛もないことを話しながら、
笑いながら食事をしているって。」

俺は顔をあげて、
茉里の様子を見ることもできなかった。
気配を消したかのように静かな茉里。
どんなことを思っているのか。
これ以上斉木に何も喋らせたくはなかった。

「斉木さんも事実を述べていらっしゃるのでしょうけど、
茉里さん、どうします。
このまま辛い話をここで、聞きますか。
私が代わりに聞いておきますか。」

「いえ、続けてください。
私は事実を知りたいです。」

「わかりました。
西澤さんは、斉木さんのお話に口を挟まないよう。
あなたの言い分もこの後、お聞きします。」

「。。。。」

俺は頷くしかなかった。

理恵さんは斉木に話を止めたことを断って、
続きを促した。

「仕事を頑張ってご褒美をいただく。そんな子供騙しのような、
でも、私にとっては
夢のような時間が半年ぐらい続きました。
本当は休みの日のドライブとか、映画に一緒に行きたいとか、望みはあったのですけど、
そういう願いは
室長から距離を取られそうで、もう少し近づいたらって、思っていました。」

斉木はそんなことを思っていたのか。

「もちろん会社ではご褒美をもらっていることは内緒です。
そんなことがわかったら、会社から会社に大事な室長より
私の方が切られそうですから。
でも、女子の間では密かに私と室長のことが噂になっていました。」

「。。。!!」

思いがけない事実に顔をあげて斉木を見た。

「室長が鈍感なんです。
あれだけ出来損ないでも、自分の手元に置いて仕事を教えてたら、
相手は部下でも異性です。
しかも私は室長に好意を持っています。
加藤さんなんて、いつもやんわりと釘を刺してきましたよ。
私は何のことでしょうって、
とぼけておきましたけど。
残念なことに室長は全然わかっていないけどね、
って意地悪く言い返されました。」

そうか。
斉木の俺への気持ちは周りが気付くほどだったのか。
さぞ滑稽だったろうな、こそこそと二人で食事に行っていたなんて知れると。

「でも
私は焦っていました。
いつか、室長との二人の秘密をみんなが知ったら、
室長は私との距離を撮るに違いない。
下手したら部署を移動させられるかもしれない。
室長に会えなくなるなんて、
そうなったら私は、会社をやめるしかない。
だったら、私から今のうちに室長を誘って室長との間に絆を作らなくちゃ。
家にまともに帰られない室長。
年に何ヶ月かは奥様との仕事の都合で、すれ違い生活。
二人とも休日出勤などで、ゆっくりと旅行もしたことがない。。。
私は毎日室長を見て、室長の体調から、気分まで手にとるようにわかっていました。
それに、私と二人の時に
ゆっくりとリラックスして、お酒を飲む室長を見ていたら、
絶対に私の方が室長を幸せにできるって、、、
思っちゃいますよね。
それで、賭けにでたんです。」

「賭け、、、」

理恵さんが繰り返す。

「もうそろそろ卒業だなって言われて。
そうね。周りに噂にもなり始めたし、加藤さんは厳しいし。
室長のそばを離れる時が来たのかも知れない。
でも室長のアシスタントではなくても、毎日室長と会えたらそれでいい。
このまま二人で会えたらそれだけで。
なので、アシスタント卒業記念に私の誕生日をお祝いしてくださいって、
お願いしたんです。
室長は二つ返事でオーケーでした。
私、、、、」

斉木が言葉を区切った。

「知ってたんです。
私の誕生日が、室長のお子さんの誕生日であり命日ってことを。」

「斉木、、、お前、、、」

「怒りますよね。
でも
怒られても私を選んだのは室長です。」

「斉木、、、」

「入社した年、室長が疲れていて、休憩室で三谷さんとお話をされていたんです。
今日は休まれなくてよかったんですかって、
三谷さんが言われて。室長はもうデスマーチが
鳴っている以上どうしようもないだろう。
家内にはわかってもらって、この仕事が完了したら行くつもりだって。
そうしたら三谷さん、亡くなられたお子さんの命日にも休めないって、おかしいですよ。
半休でもいいから、行かれてくださいって。
その日、私の誕生日で、室長のお子さんの命日と一緒なんだと。。。」

そうだ。
あの日、廉の命日に初めて、一人でもお参りに出掛けられなくて
茉里にも申し訳ない気持ちと、
あの暗い陰鬱な空気が逃れられて、少しだけ息をついているいる自分がいて、
そういう自分にうんざりとしていたんだ。

「それで
いよいよ誕生日に行こうという話になって、誕生日を告げると、
室長はちょっと動揺されて。
ご無理でしたか?って尋ねたら、いや、約束したからな。大丈夫だって。
私、もう室長は私を選んだって確信しました。自分のお子さんの命日、
そういう大事な日に奥様と一緒にいることより
私と一緒にいることを選んだって。
もう有頂天で、おまけに誕生プレゼントまでいただいて、、、、
食事して、最後にもう一つお願いしたんです。
私を抱いてくださいって。
それだけでいいです。

真面目な室長のことだから、一度はあっても2度目はないかも知れない。
でも、ここで抱いてくださったら
いつかはもっと私に傾いてくれるかも知れないって。
はじめは、はじめは一度でいいからって。。。」

「結構自信あったんだけど、速攻で断られました。
期待外れでしたけど、
でも、きっと室長も迷ってあるんだと思って、その日は深追いせずに帰りましたよ。
でも、週明けから酷かったですね。
新しいプロジェクト立ち上げで、私をアシスタントから外して、
加藤さんの元へ戻し。
そればかりか、私と目も合わせてくれないし、
携帯の連絡にも返事もくれない。。。
ずるいですよ。あれだけ、気にかけてくださっていたのに。
あっという間に完全に手を離されたんですね。
室長はずるいです。」

そうだ。
俺はずるい。
どこかで、斉木が上司の俺に好意以上のものを持っているのを気づいていたはずだ。
それを見ないことにして、気づかないことにして、部下を導いていることに
自己満足をしていた偽善者だ。
それが、
斉木からの告白で、いきなり現実が押し寄せてきて、怖くなって逃げ出した。

「もちろん、室長と絡まない仕事なんか面白くないし、話もできないだなんて、
室長を見るだけで満足できずに
毎日がこれまでと一転して、虚ろな日々になりました。
加藤さんも、恐ろしく厳しくって毎回怒ってくるし。
考えたのですけど、やっぱり会社を辞めることにして、
最後に室長を、絶対に断れないようにして誘いました。

ホテルに近いレストランで食事して、ワインをガブガブ飲んで、
飲んだ勢いで室長を
ホテルまで連れて行って、入って、もう泣き喚い
なんとしてでも室長を自分のものにしようって
思ったんです。
一度既成事実を作っちゃえば、室長だって無下にはできないでしょ。
それに、室長も私のことを憎からず思っているって、信じていました。
でも
やっぱりそういう姑息な手段には誰も味方してくれませんね。
お嬢さんに見つかって、あとはご存知のとおりです。」

そういうと
緩くなったコーヒーを一気に斉木は飲み干した。

ここまで
表情ひとつ変えずに話す斉木。

初めて
斉木を恐ろしく思った。
俺が一番悪い。
それはよくわかっているが、どうしようもない蟻地獄に誘い込まれたような気も
する。
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