愛がなくても、生きていける
「どんな言葉だっていい。だから、里見さんの本当の気持ちを教えて」
その言葉に、今にも逃げ出そうとしていた彼女の腕から力が抜けた。
それを察して俺がその腕を離すと、里見さんは自らゆっくりとこちらを振り返る。
こちらを見た里見さんの目には、今にも溢れそうなほど涙が溜められていた。
その涙もまた愛しくて、俺は手を頬にそえると指先でそっと雫を拭う。
「本当は……不安だった。子供のことを言って、嫌われたり引かれたらどうしようって。傷つくくらいなら、このままいい思い出のままにしたくて」
妊娠をきっかけに相手の態度が変わる、なんて嫌になるくらい聞く話。それを想像して、恐れたのだろう。
「でも生みたいって気持ちは変えられなかったんです。ずっと好きだった、あなたとの子供だから」
結婚していない相手との子供を、未婚のまま生むという決心は簡単にできるものではないだろう。
だけどそれを受け入れるほど、俺のことを想ってくれていたということ?
「ずっと、って?」
「中村さんは覚えてないかもしれないんですけど、中村さんが入社してすぐの頃、私朝に駅のホームで体調が悪くなったことがあって。その時に介抱して駅員さん呼んでくれたことがあったんです」
言われてから、そういえばそんなこともあったかもしれないと思い出す。
その時は、朝から打ち合わせがあって急いでいて、でも具合が悪そうなその人を放っては置けなくかった。
がむしゃらだったから、顔を見る余裕まではなく駅員さんを呼んで引き渡してしまったけれど。
そんな些細なことを、覚えてくれていたんだ。
「それからよく目で追うようになって。見るたび人にいつも囲まれていて、人間関係で苦労がなさそうな人って思ってたんですけど……よく見ると寂しげな目をしていることが多いことに気づいた」
「俺、が?」
「はい。明るくて眩しい、そんなあなたが抱えるなにかに寄り添いたい。ずっと、そう思ってたんです」
以前里見さんは俺のことを『薄っぺらい』と言ったことがあった。
それは、それまで彼女が俺のことをよく見ていた証なのかもしれない。
中身のない言葉を伝えて、笑って流して、そんな俺が本当の俺じゃないと知ってくれていた。