あまいお菓子にコルセットはいかが?
0.プロローグ
 北に位置するトルテ国――城下には白い外壁に赤色の屋根で統一された家屋が立ち並び、石灰を多く含む白レンガを使った道は、街の隅々まで敷き積められている。
 そんな白と赤のコントラストが美しい国のとある伯爵家――シルフォン伯爵の屋敷では、先日、元気な産声を上げて新たな命が誕生した。

 母の腕に抱かれた赤ん坊に、差し出した指をぎゅっと握られたコレットは、その美しい菫色の瞳を丸くして覗き込む。

「コレット。弟のアンリよ、仲良くしてあげてね」

 まだ言葉のしゃべれないコレットは、よくわからないままにコクリと頷いた。

 美しい金の髪に愛らしい顔のコレットが、同じ髪と瞳の色をした天使のごときアンリと並んだ様子は、両親、親族、家人全員の心をわしづかむ。

 それはもう、絵画のごとき尊さであり、胸を掻きむしられるほどの愛おしさであった。
 二人はそのまま愛らしく成長し、周囲を、そして同世代の子息令嬢とその親である貴族たちの目を奪っていく。

 結果、シルフォン家の姉弟の元には、早々に婚約申し込みが殺到し、特に苦労することなく将来を誓い合う婚約者が確定する。

 コレットは十歳のとき、ゴルディバ侯爵家の嫡男であるジルベールと婚約が成立。
 その後アンリもすぐに侯爵令嬢との婚約が成立した。

 その後も、愛らしい二人は、周囲の溺愛を一身に受け、また美味しいお菓子(ドルチェ)に贅沢な料理を浴びるほどに勧められた。
 無論、二人は周囲の好意を、気持ちよく受け取った。
 それはもう、見ている方がいっそ清々しいと思うほどに、元気よく平らげていったのだった。




 ――時は流れ、コレット十六歳、アンリ十五歳となった、とある秋晴れの日。




「アンリ・シルフォン様! あたくしブランディーヌ・ノワゼットと婚約破棄してくださいませ!」

「! ど、どうしてだ、ブランディ。せ、せめて理由を聞かせてくれないか」

 昼下がり、シルフォン家の庭園にてアンリの婚約者でありノワゼット侯爵令嬢のブランディーヌは、婚約破棄の声明をあげる。
 ここには学友も、他人もいない。数人のメイドが控え、物陰に姉のコレットがたたずんでいて、その一部始終に固唾をのんで見守るだけである。

「アンリ様は、聡明でお優しい方です。ですが、ですがっ」

 ブランディーヌは、肩を震わせ言葉を詰まらせた。その姿にアンリは、彼女の決意が固いのだと理解する。

「アンリ様の見た目が! 許せないのです」

 その一言は巨大な槍となりアンリの心を貫いた。呆然となすすべなくブランディーヌを見つめる。
 なにも発言しないアンリを気にも留めず、ブランディーヌはずっと思っていたことを、一気にまくし立てた。

「昔は、それはそれは、お美しく愛らしいお姿でしたのに! いまではその面影など無かったかのように丸々とふくよかでいらっしゃることが、あたくし、どーしてもどぉぉぉぉぉしても、許せないのです。どうしてこうなってしまわれたのですか? これは詐欺です! 七年かけて騙すなんて、ひどいですわ!」

「……」

 アンリの見た目は上半身から下半身にかけて、大きく緩やかな曲線を描いていた。横から見ても同じである。その顔は年齢不詳であり、若くも見え、また貫禄のあるようにも見える。

「知り合いにアンリ様を紹介するたびに、あたくし、あとでいろいろと謂れのない嘲笑を受けていますのよ」

『あのような殿方の、どこを気に入られたのですか?』
 そう聞かれるたびにブランディーヌは、堪らなく悔しい思いをしていたのだ。積もり積もったその鬱憤が、今まさに爆発したのである。

「そのお姿は、何も言わなくても自己管理ができませんと言っているようなもの。あたくしの伴侶には相応しくありませんわ!」

 ブランディーヌはノワゼット侯爵家の第二息女であり、アンリと結婚したならばシルフォン家伯爵夫人となる。けれど、家格でいえばノワゼット家が上。彼女の家から婚約破棄を求められれば、シルフォン家は応じざるを得ない。

「……」

「なにもおっしゃって下さいませんの? まぁよろしいですわ。沈黙は肯定として受け取らせていただきます。それでは、今日はこれで失礼いたします。ごきげんよう――そして、さようなら。アンリ様」

 席を立ち淑女の礼をとると、ブランディーヌは早足で庭園を立ち去った。

 取り残されたアンリは、固まったまま、執事が声をかけるまで呆然としていたのだった。



 ◇◆◇◆




「――という事件がね、我が家の庭園でおきてしまったの」

 困ったようにコレットは頬に手を当て、もう片方の手を婚約者の腕に添えて階段を下りていく。
 二人は舞踏会を終え、馬車へと向かっている最中だった。

「――それは、大変だったね。アンリ君はその後どうなったの?」

 あまりの惨劇に、ゴルディバ侯爵子息のジルベールは言葉を詰まらせた。
 そして気になる話のその先を、彼は自分の婚約者であるコレットに尋ねる。

「ええっと、――」

 あの後、ショックのあまりアンリは寝込んでしまう。
 その間にノワゼット家から婚約破棄の手紙と慰謝料が届き、アンリが介入できないまま婚約破棄は成立してしまった。もっとも介入したとて侯爵家からの要望である。シルフォン伯爵家としては大きく反対はできなかっただろう。

「アンリの婚約破棄は成立してしまったのですけど、その後が大変で――」

 思い出して、コレットは胸を痛めた。目覚めて婚約破棄を知ったアンリは、そのまま貴族の通う学園を退学してしまったのだ。

「退学したのかい? それは、また。ノワゼット家のご令嬢も同じ学園に通っていたのだっけ?」

「はい。ですが、気まずいからという理由で辞めたわけではないのです」

 アンリは、元婚約者の言っていたある一言を酷く気にしたのだ。

 ――そのお姿は、何も言わなくても自己管理ができませんと言っているようなもの

『そんな風に考えが及ばなかった自分が恥ずかしい。僕は心身共に鍛えなおすと決めたんだ。そのために今すぐ軍に入ることにする』

 アンリの決心は固く、説得しようとした両親を逆に説き伏せ、ついでに推薦状まで書かせてその足で志願したのだった。

「なるほど。では、すでに軍の寄宿舎に移ったと。どうりで今日の舞踏会では顔を見ないわけだ」

 将来の義理の弟の行方不明となった理由を知ったジルベールは、安堵と共に苦笑する。

「ジル様ったら、笑いごとではありませんわ!」

 笑うジルベールの態度に不満を零し、彼の腕に回した手に力を込める。そのせいで重心が移動し片足に全体重が乗っかった。

 ――ボキィ!

「きゃあ!」
「うわ!」

 コレットはジルベールを半分巻き込んだ状態で、しりもちをつく。
 ちょうど階段の一番下の段であったことが幸いし、二人とも大きな怪我はしなかった。
 コレットは根元から折れたヒールを手にし、事態を把握するとショックでその場に座り込んだまま動けなくなってしまう。

「だ、大丈夫かい、コレット。さぁ、手を貸して――くっ」

 ジルベールがコレットに両手を差し出し起こそうとするが、持ち上がらない。

「ジル様、申し訳ございません。自分で立ちますわ――うっ」

 どうやら、転んだ拍子に足を痛めたらしい。コレットは片足を庇うように何とか立ち上がると、ジルベールに肩を借り馬車まで歩いて行った。
 彼女もまた弟のアンリ同様にふんわりと大きく曲線を描いた豊満なボディの持ち主であったのだ。

「なんだか申し訳ない。足を痛めているのに歩かせてしまうなんて」

 本当は格好よくお姫様抱っこをしたいし、されたい二人であった。無論七年の付き合いでは互いの心情は手に取るようにわかってしまう。

 ゆえに、気まずい。

 微妙な空気は沈黙を呼ぶ。そのまま二人は馬車に揺られながら帰路に着いたのだった。

(あら? もしかして、アンリのことを心配している場合では、ないのでは?)

 コレットの胸に芽生えた不安の種は、瞬く間に成長していったのだった。
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