アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
「そうでした……。失礼なことを言ってすみません」

 恥ずかしそうに顔を赤くするアリーシャに、オルキデアは首を振ると小さく笑う。

「ここは、心配してくれた礼を言うべきだろうな」
「勝手に心配しただけですから、私が……」

 その言葉に偽りはないのだろう。
 真っ直ぐに見つめてくる曇りのない綺麗な菫色の瞳がそれを証明していた。

「ここまで、私に親切にしてくれるのは、ラナンキュラス様だけなので……。そんな貴方が心配なんです」
「そこまで、俺が心配か?」
「敵国の人間である私にここまで親切にしてくれて……。あの、軍での立場……は大丈夫ですか?
 疑惑を持たれているとか、私との関係を怪しまれているとか、何かおかしなことにはなっていませんか?」

 虚をつかれたオルキデアは目を見張る。

「随分と変わったことを聞くんだな。自分の心配ではなく、敵である俺の立場を心配するとは」
「上手く言えませんが……。なんだか、前にもこんな心配をした気がするんです。
 こうやって、相手の立場を心配したことが……」
「もしや、記憶が戻ったのか……?」

 オルキデアの言葉に、アリーシャは慌てて首を振る。

「いいえ! 記憶が戻った訳じゃないんです。ただ、何となく、そんな気がしただけなので!」
「そうか……」

 もしかしたら、アリーシャ自身も、どこかで早く記憶を取り戻さなければ、と思っているのかもしれない。

 だが、記憶を取り戻してしまえば、この二人だけの時間は無くなってしまう。
 ただのーー軍の将官と敵国の捕虜の関係になってしまうだろう。

 この時間を失ってしまうのが惜しいと、心の奥深くで思っている自分がいた。
 それがアリーシャに対する独占欲だと気づいた瞬間、棘のような小さな痛みが、オルキデアの胸の中に走ったのだった。

 それに気づかない振りをして手を伸ばすと、怪我に触れないように、軽くアリーシャの頭を撫でる。

「無理に思い出さなくていい。今は怪我の治療に集中するんだ」

 菫色の瞳を大きく見開いて、オルキデアを見つめ返したアリーシャは、頬をほんのり赤く染めると、「はい……」と頷いたのだった。

 アリーシャを見張りの兵ーーこっちはオルキデアとアルフェラッツの信頼の置ける者に、既に変更していた。に任せると、オルキデアは部屋を出る。

 掌を見つめると、先程触った絹のように柔らかな藤色が思い出される。
 藤色の中に混ざる輝くような銀色まで、はっきりと頭の中に浮かんでいた。

(何を考えている。彼女が俺を頼るのは、他に頼れる人がいないからだ。それ以外の意味はない)

 不安そうに揺れる菫色の瞳が、脳裏を掠める。
 掌から目を逸らすと、爪の跡が残るくらいグッと力を入れて握りしめる。
 頭の中から彼女を追い払うように、足早に歩き出したのだった。

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