アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 適当にズボンを履いて、シャツを羽織っただけのオルキデアは、浴槽に片手を入れると温度を確かめる。

「温まったぞ……って、なんだそれは?」
「何って、アヒルです。一緒に入ろうと思って自分の部屋から持って来ました……オルキデア様の浴室にもあったんですね」

 胸元までタオルを巻いたアリーシャは、掌サイズの黄色の小さな鳥の人形ーーアヒルの人形を持って、浴室に入ってくる。
 あまり気にしていなかったが、この浴室に備え付けの棚の上にも、お揃いの黄色いアヒルの人形が置いてあったのを思い出す。
 マルテはこんなことをしないから、きっとセシリアの仕業だろう。

「一度、部屋に戻るというから、着替えを取りに行ったのかと思ったら……アヒルを取りに行ったのか」
「着替えも取りに行きました。アヒルはついでです」

 もう、と口を尖らせるアリーシャを先に浴室に入れると、オルキデアも服を脱ぐ。
 湯船の用意が出来るまで、裸体で室内を彷徨くのも……と思って、ただ羽織っただけだったので、すぐに裸になると、腰にタオルを巻く。

「用意が出来たら、声を掛けてくれ」
「はい!」

 シャワーの音に負けないように、アリーシャが声を張り上げた。
 どこか急かしているような気がして、罪悪感を感じてしまう。

 昨晩は柄にもなく緊張してしまった。
 これまで、女性を抱いて寝たことは何度もあったし、昨夜の様な濃密な夜を過ごしたこともあった。
 だから、アリーシャと共に過ごすのもなんともないと、軽く考えていた。
 それが、実際に向き合って、これまでいかにアリーシャを「女性として」見ていなかったか実感させられた。

 歳下だからと、元は捕虜だからと、彼女をずっと子供の様に思い、見下してさえいた。
 だからこそ、全てを晒したアリーシャと向き直った時、急速に彼女が「女性」であると意識してしまった。

 豊満な胸に、魅惑的な身体つき、あどけなさが残る顔つき。
 緊張して手元が狂いそうになり、初夜から気を失わせてしまうところだった。
 彼女が何も言わないから、心配になったというのもあるが、本人によると気恥ずかしくて言わなかっただけらしい。
 嬌声も男を悦ばせるものだと、本人には教えたつもりだが、どこまで伝わったのか……。

 どうも、娼婦街育ちなだけあって、彼女もそっちに関する知識を多少は持っているようだが、経験自体はまだなのだ。
 こればかりは、なるべく彼女のペースに合わせるべきだろう。
 ただ、こちらも手加減しないと言った以上、今夜からは少しずつ荒くするつもりだがーー。

 そんなことを考えていると、浴室から「用意が出来ました!」と声を掛けられる。

「わかった。入るぞ」

 声を掛けると、オルキデアは浴室に入ったのだった。

 浴室に入ると、ラベンダーと石鹸が混ざった香りが鼻をついた。
 髪を一つにまとめたアリーシャが浸かる湯船が薄紫色なところから、ラベンダーの香りがする入浴剤を入れたのだろう。
 身体を軽く流して、ボディタオルに石鹸を泡立てると、浴室内に漂う香りと同じ匂いがした。
 この石鹸でアリーシャも身体や髪を洗ったのだと思うと、彼女とお揃いのようで心が弾んだ。

 浴室に座って、さっと身体の正面を洗い、今度は背中を擦っていると、手の中からボディタオルが消えた。
 手探りで床を探していると、落としたと思ったボディタオルで、優しく背中を擦られたのだった。

「背中、洗いますね」
「あ、ああ。もしかして、タオルが消えたのは……」
「はい。私が取ったからです」

 傷つけないように気を遣っているのか、優しく背中を擦られていると、子供の頃、こうして父と互いに背中を流しあったことを思い出す。

 あの頃は、力を入れて洗う父の洗い方が嫌で、「痛い!」と文句ばかりを言っていた。その度に、父は「ごめん」と平謝りして、二度と一緒に風呂に入るかと思ったものだった。
 オルキデアが痛いと言った後は、必ず探る様に身体を擦ってくれるが、それが微妙に気持ち良くなかったので、子供の頃のオルキデアはいつも不満だった。

 そんな父と、もう二度と親子で背中を流し合えないのかと思うと胸が苦しくなる。
 一緒に風呂に入りたいと思った時に、いつでも入れると思っていた分、後悔はより深いものだった。
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