アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
 その時、二人の側の噴水から音楽が聞こえてきた。
 軽快なメロディーに続いて、噴水から勢いよく水が噴き出たのだった。

「わぁ……!」

 腕の中のアリーシャを始めとして、噴水の近くにいた人々が歓喜の声を上げる。

「もうこんな時間なのか」
「こんな時間って……?」
「この演出はな。決まった時間にしか起こらないんだ。確か、一日四回だったか」

 毎日、九時、十二時、十五時、十八時と、演出の時間が決まっていたはずだった。
 子供の頃は、この音楽を時報代わりにしていたからよく覚えている。
 特定の時間に、三分間の演出があるのだ。

「オルキデア様はなんでも知っているんですね。尊敬します!」
「そんなことはない。まだまだ知らないことだらけだ」
「私だって、まだまだ知らないことだらけです。世間知らずだし、頭も良くないし、この国のことも、貴方のことも、自分のことだって、よくわかっていません……。毎日が新しい発見ばかりです」
「俺もそうさ……。特にお前に関してはな。だが焦る必要はない。少しずつ知っていこう。俺でわかることなら、なんだって教えてやる」
「お互いについても、貴方についてを知りたいです。もっと貴方の役に立ちたいから……。その分、私のこともたくさん教えます。貴方にもっと好きになって欲しいから……」
「もう充分役立っているし、愛してもいるさ。……俺の側にいてくれるだけでいいんだ」

 軽快な音楽が鳴り響く中、そんな話しをしていると、噴水の縁に座っていた老夫婦が近づいてくる。

「熱いね~。アンタたちもジンクスとやらを試しているのかい?」
「ジンクスですか?」

 首を傾げたアリーシャに、「なんだ。違うのかい」と、教えてくれた老人はやや驚いたように返す。

「これは孫から聞いた話なんだけどね。祭りの日、噴水の時報が鳴っている間に、愛を誓い合った恋人や夫婦は、生涯幸せになれるんだよ」
「そうなのか?」

 これにはオルキデアも驚いた。生まれてから、ほぼほぼ王都で暮らしてきたが、そんな話は聞いたことがなかった。

「そうだよ。ほら、周りを見てごらん。同じように、愛を誓い合っている恋人や夫婦がいるだろう」

 老人に言われて辺りを見回すと、噴水の周りには二人と同じように抱き合って愛を誓い合う恋人や、熱い口づけを交わし合う若い夫婦の姿があったのだった。

「特に、こういう祭りの日に誓い合った恋人や夫婦は、末永く幸せな関係が続くらしいよ。普通の日よりもね」

 老人は「それでは邪魔になるからこれで」と言って去り、その伴侶と思しき老婦人は、「邪魔してごめんなさい」と浅く頭を下げて、老人の後を追いかけたのだった。

 やがて音楽が止まり、時報が終わると、噴水周りにいた人々はそれぞれ去って行った。
 アリーシャを解放すると、お互いに顔を見合わせる。
 そして、声を上げて笑い合ったのだった。

「オルキデア様にも、知らないことがあったんですね」
「言っただろう。まだまだ、知らないことだらけだと。今回はセシリアにしてやられたな」
「セシリアさんはこの話を知っていたのでしょうか?」
「恐らくな。若干、下心もあったようだが」

 このジンクスをアリーシャに教えるだけなら、わざわざ一輪挿しを買わせないだろう。
 花を買わせたくて、ジンクスにアレンジを加えたのだ。
 商魂たくましいと言えばそれまでだが、おそらくちょっとした悪戯心もあったのだろう。
 自分たち夫婦は仕事をしているのに、オルキデアたちだけ楽しそうに祭りを満喫しているから。

「……次、クシャースラに会いに行く時に、手土産でも持っていくか」
「手土産?」

 首を傾げたアリーシャに、「こっちの話だ」と返す。

「それより、他に行きたいところはないか?」
「さっき、パレードが通過した通りのお店が見たいです」
「わかった。行こう」

 オルキデアが差し出した手を、すぐにアリーシャが握り返す。
 以前、百貨店に行った時は、オルキデアに遠慮してなかなか掴んでくれなかった。
 けれども、今では手を差し出すと、当然のように握り返してくれる。
 それを幸福と思いながら、指を絡めたその手を、オルキデアはそっと自分のポケットに入れたのだった。
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