アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ
それから月が昇った夜半に目を覚ますと、いつの間に帰宅したのか、ベッドの側には父の姿があった。
椅子に座って腕を組み、時折、こくりこくりと頭が動いていた。
月明かりを頼りにじっと見つめると、父は居眠りをしていたのだった。

どんなに仕事が忙しくても、疲れていても。
いつだって父は息子の為に、屋敷に帰って来てくれた。
それがどれだけ子供の頃のオルキデアを救ってくれたのか。
大人になってから、父の存在の大きさを知ったのだった。

氷枕の用意が出来ると、またアリーシャの部屋に向かう。
冷たい氷枕を手に廊下を歩きながら窓辺を見ると、屋敷の門の辺りに人影が見えたような気がした。

(あれは……)

相手は門の影に隠れているつもりかもしれないが、肩につけているペルフェクト軍のエムブレムが冬の陽光を受けて輝いていた。

軍の中でも、エムブレムを身につけられる者は非常に限られている。
主に軍の中でも、秩序や法を司る者が身につけており、軍事裁判を担当する兵や先日の留置所の兵たちもそれに当たる。

彼らがエムブレムを身につける目的としては、常に秩序や法を守る者が身近に存在していると兵たちに緊張感を与える、という規律を正し、ペルフェクト軍の一兵としての自覚を持たせる意味があるらしい。
軍規を乱したものを、エムブレム持ちの一部の将官は厳罰を持って処罰、又は軍事裁判にかけられる権限を持つ。
そんな彼らに、同じ将官であるオルキデアでさえ逆らう事は出来なかった。

今日は来客の予定はないが、用事があれば入ってくるだろう。
まずは寝込むアリーシャに、氷枕を届ける方が先決であった。
門から視線を外すと、オルキデアは急いだのだった。

部屋にそっと入ると、愛妻はベッドの上で静かに寝息を立てていた。
アリーシャは久しく体調を崩していないと言っていたが、それはシュタルクヘルト家に引き取られてから、今日までずっと気を張りつめていたからだろう。
それが、ようやくこの屋敷を安息の地と思えるようになった事で、これまで我慢していたものが一気に出てきたに違いない。
そう思ったのも、なんとなく寝顔がいつも以上に穏やかに見えたからだった。

アリーシャを起こさないように氷枕を頭の下に入れると、また部屋を出る。
風邪をひいた時は、滋養のある物を食べて、薬を飲んで、よく眠る事が大切だ。

一度、厨房に戻ると、冷蔵庫を開ける。
オルキデアが一人で住んでいた頃は、ほぼ空っぽだったが、今は愛妻が管理しているからか、食材が所狭しと入っており、どれもすぐに使えるように種類ごとに分けられていた。

アリーシャに食べさせるのに冷蔵庫にある食材で足りるのを確認すると、今度は薬箱を確認しに倉庫に向かう。
普段使わない家具や布団、この間の落雷の時にアリーシャがひっくり返してしまった銀の食器以外にも、別の一角には薬箱を置いていた。
薬箱を開けると、中には消毒薬や絆創膏、包帯といった外傷薬しか入っておらず、飲み薬の類いは入っていなかったのだった。

「風邪薬が無いのか……?」

使った覚えがないのに、どうしてないのか……と考えたところで、ふと思い当たる記憶があった。
アリーシャを移送させる前、この屋敷の用意を頼んだ時にマルテに言われた言葉だった。
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