アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ

思い出した

「お前、アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトだろう」

 クシャースラと一緒にオルキデアの部屋を片付けている間も、アリーシャの頭の中では、その言葉がぐるぐると渦巻いていた。

(アリサ・リリーベル・シュタルクヘルト……)

 コーヒーを貰いに、新兵に連れられて士官以下が利用する下級兵士用食堂に向かっていると、何度かそう声を掛けられた。

 オルキデアとの約束通りに、ペルフェクト語がわからない振りをしていると、今度は一部の兵がシュタルクヘルト語で同じ言葉を言ってきた。
 無言で首を振って、その後も同じ言葉を掛けてきた兵たちを無視し続けたが、アリーシャの中ではその言葉が妙に引っかかった。

(何だろう……。懐かしい響き)

 アリーシャと呼ばれる度に、どこか懐かしい響きがしていた。
 けれども、アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトと呼ばれると、もっと懐かしい響きがしたのだった。
 それが何かは分からない。けれど、この名前にはどこか馴染みがあるような気がした。

(でも、どこか苦しくなる)

 その名前には、何かが欠けていた。
 オルキデアに「アリーシャ」と呼ばれる時は、そう感じないのに。
 懐かしいけれども、言葉に出来ない何かが欠けていて、もどかしかった。
 そして、欠けていると思う度に、胸が苦しくなる。
 どうして苦しくなるのか知りたいと思う反面、知ってしまったらこの時間が終わってしまう気がしていた。
 捕虜と将官とのーーアリーシャとオルキデアとの、二人だけの時間が。

 途中で昼食を挟みつつ、クシャースラが帰る夕方頃には、執務室の片付けはほぼ終わっていた。
 元々、長期間不在だった事もあって、片付けるものが少なかったというのもあるらしい。
 その証拠にクシャースラには、「普段はもっと散らかっていて片付けが大変なんです」と苦笑していた。

 クシャースラを見送った後、オルキデアはそのまま将官以上が利用する上級兵士用の食堂に二人分の紅茶を取りに行っていた。
 夕食にはまだ早いので、紅茶でも飲まないかと、オルキデアに誘われた。
 食事は昨夜と今朝はオルキデアが信頼を置いている部下がアリーシャの分だけ取りに行き、オルキデアは上級兵士用の食堂で食べていた。
 昼食はオルキデアと一緒に食堂に食べに行ったクシャースラが、アリーシャの分を貰って来てくれた。
 夜はというと、オルキデアの手がたまたま空いているので、一緒に執務室で食べる事になっているのだった。

 オルキデアが戻って来るまでアリーシャが執務室で書類の束を紐で縛っていると、部屋の扉がノックされた。

「失礼します」

 入って来たのは、見た事がない兵士だった。アリーシャは慌てて、その場で立ち上がる。

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