冷たい海
 しかし、彼女にとって当たり前に見れるものではなくなっても。その土地から見ることのできる満天の星空は、幼い頃から微塵も変わることがなかった。

「ほら、見て。夏の大三角……」
 彼女は星空の中でも特に際立って光り輝くその三つの星を指さした。
「あのベガが涼平兄ちゃんの星座なんだよね」
 ベガはこと座の星。だから箏を演奏する僕の星座だ。彼女は両親から星座について教わった時、真っ先にそう言った。

 ギリシャ神話では、こと座の箏はオルペウスがアポロン神から贈られたものだとされている。優れた奏者であったオルペウスは美しいエウリディケと結婚し幸せな日々を送るが、エウリディケは毒蛇に噛まれ、亡くなってしまう。嘆き悲しんだオルペウスは冥界で願いを込めて箏を演奏し、その音色は神々を感動させ、地上に戻るまでは彼女の顔を見ないという条件でエウリディケが戻されることになる。しかし、あと少しで地上に到着する、その寸前でオルペウスはエウリディケの方を振り向いてしまい、彼女は永久に冥界へと連れ戻されてしまう。
 幼い頃に聞いたそんな悲しい伝説を不意に思い出した。

 僕は昔からこういった伝説は現実味のないものとして……どこか他人事として捉えていた。しかしその時ばかりは、自らをオルペウスと重ねずにはいられなかった。
 もし自分がオルペウスで美夏がエウリディケだとしたら、きっと自分も彼女を取り戻すために冥界へでも入るだろう。そして彼女の顔を見るなと言われても、振り向かずにはいられないだろう。

 僕はそんなことを考えるにつけて、美夏に対して禁断の感情を抱いていることを再確認せざるを得なかった。
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