嘘と愛

「待って下さい」

 呼び止められると、零は背を向けたまま立ち止まった。

 紺色のスーツ姿の零の後姿は、どこか楓に似ているように幸喜は思えた。
 とても華奢でそれでいて上品な後姿が楓と似ている…。
 そして綺麗な金色の髪も…。

 そう思いながら、幸喜は零に歩み寄って行った。

「先日は、わざわざお越し頂いて有難うございました」
「いえ…こちらこそ…」

「どうしても、お話ししたいことがあります。個人的にですが」
「事件の関係者と、個人的な話はできません。お話があるなら、署でお願いします」

「いえ、これは個人的なことです。これをお話ししないと、何も解決しません」
「…そう言われましても…」

 幸喜は辺りを見渡し、誰もいない事を確認した。


「桜の死亡届けを、まだ出していないんだ…」

 桜と言う名前を聞いて、ドキッとした零。
 その瞬間、零の目が泳いだのを幸喜は見逃さなかった。

 そんな零の左手を、幸喜はそっととった…。
 
 ハッとなった零だが。
 何故か義手である左手に、幸喜の手の温もりが伝わって来るような気がした。

「ずっと忘れていない…22年ずっと、止まっているから。ちゃんと真実をハッキリさせたいと思ているんだ」
「何を言っているのか、分かりません…」

 そう答える零の声がちょっと震えていた…。

「僕には判るよ…。会社に来てくれた時に。ハートが教えてくれたから…」

 零は黙ったまま何も答えなかった。
 
 零も同じ事を思っていた。
 敵視して尋ねて行った幸喜なのに…何故か胸がキュンとした…。
 だが、そんな気落ちを認めたくなくて「あの人は私を捨てた人だから」と自分に言い聞かせたのだ。
 
「また、ゆっくり話をさせて。…どんなに嫌われても、この気持ちが変わる事はないよ」

 零の左手を両手で覆った幸喜は、とても辛そうな目をしていた。
 そんな幸喜を見ていると、憮然としていた零の目も少し緩んだ。

「…これは、事件と関係あることですが。それ以上に、もっと親密な事です。なので、先ずは個人的に話をさせて下さい。お願いします…」

 幸喜の声が切なく聞こえた。

「判りました。…」

 零は小さく答えた。

「では、これが僕の携帯番号です」

 名刺を取り出して、幸喜は携帯番号を書いた。

「ご都合が良い日に、お電話下さい。いつでも、時間は合わせますから」
「…はい…」

 ちょっと俯いて、零は小さく答えた。

 そんな零を見ると、幸喜の胸はちくりと痛んだ。
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