悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
最終章
「お嬢様、本当にここにお店なんてあるんですか?」

 エマが不満げに言うのも無理はない。
 ここは城下町の西側、庶民街と呼ばれるエリアだ。
 イザベルは手元のメモ用紙に視線を落とし、周囲を見渡す。立ち並ぶ民家とアパートは水色と白のストライプで彩られているが、その色はどれもくすんでいる。

「ルーウェン様にいただいた地図では、このあたりのはずなのだけど……。あ、ここの二階じゃないかしら」

 見上げた先にはお店の看板が風で揺れている。

「外観は古びたお店って感じね……」

 一階は店舗ではなく、居住用スペースとなっているようだ。ドアノッカーの横には番地を示すプレートが下げられ、窓の向こうは重いカーテンがかかって中まで見えない。
 外から二階へ通じる階段を上っていくと、カンカンと音が反響する。
 入り口にドアベルが取り付けられているのを確認し、木製の取っ手をそっと引く。
 ちりんちりん、と控えめな音が奏でられる。

「暗いですね……」

 エマのつぶやきに心の中で同意する。
 店内は外の明かりをカーテンで遮っているため、頼りになるのは部屋の角に小さく灯ったランプの光源のみ。夜目が利くまで時間がかかりそうだ。

(もしかして、開店休業中というやつかしら?)

 慎重に足を踏み出すと、店の奥で物音がしてパッと視界が明るくなる。
 魔法かと思って目を瞬くが、大きめの燭台に火が灯っただけだった。その横からゆらりと影が動き、低い女の声が聞こえた。

「おや、こないだ会った顔だね」
「……あなたは」

 明かりに照らされたのは灰色の髪。前に見たときは後ろに流していた髪は、頭の上で一つにくくられている。だが、闇に溶け込んだような黒のローブを着込んだ姿は以前と同じもの。
 瞳も記憶と変わらず、透明な湖のような色を宿している。

「ここは、あなたの店ですか?」
「そうだよ」
「……前は占い師って言っていたけれど、雑貨も置いてありますよね」

 少しだけ明るくなった店内を見ながら言うと、老婆は鷹揚に頷いた。

「占いは上客だけのサービスとしてやっているからね。ここにあるのは、日用雑貨や風邪薬、頭痛薬といったやつだね。まあ、庶民向けの何でも屋みたいなものさ」
「そうですか……」

 会話が途切れ、沈黙が訪れる。
 老婆は後ろに控えるエマを一瞥し、イザベルに視線を戻す。

「それで、今日は何を聞きに来たんだい? 買い物に来たわけでもなさそうだが」
「……まるで心を読んだような口ぶりですね」

 ふーっと息を吐きだし、心を落ち着ける。
 社交界のように、余計な駆け引きは必要ない。偽りや見栄を張った言葉は、この場では不要だ。
 青い瞳に映った自分の姿を見つめながら、口を開く。

「魔女に会いに来ました」
「残念だが、ここには魔女なんていないよ。老婆がひとりいるだけさ」

 隙のない笑みがイザベルを正面から見据える。

 ――この人が魔女だわ。

 ただの直感だが、イザベルの中で予想は確信に変わった。
 口は嘘を紡げるが、瞳の奥までは欺けない。堂々とした態度を保っているものの、その瞳はわずかに揺らいでいた。

(でも……魔女だとすると、彼女がリシャールが守りたい人ってことになるわよね? もっと若い姿を思い浮かべていたけど……)

 いくらリシャールでも、さすがに老婆に恋はしないだろう。ロマンス小説のような展開を想像してたが、深読みしすぎたか。
 勝手な思い込みをしていた自分が恥ずかしい。
 イザベルはため息を飲み込んで、隠しポケットに入れていた書面を取り出す。

「ライドリーク卿の紹介状があると言っても、だめですか」
「……驚いた。伯爵家の知り合いだったのか」
「申し遅れました。わたくしはエルライン伯爵家の娘、イザベルでございます。不躾ですが、急いで作っていただきたい薬があるのです。まずは、お話だけでも聞いていただけませんか」

 頭を下げると、大きなため息が聞こえてきた。

「仕方ないね、別室で聞くとしよう。付き人の方には申し訳ないが、ここで待機していてもらうよ。奥の部屋は少々手狭だからね」
「わかりました。エマ、いいわね?」
「かしこまりました」

 エマを店内に残し、老婆の後ろに続いて薄い布をめくる。そこには丸テーブルと椅子が二脚置いてあった。彼女は奥の椅子に腰かけ、イザベルに手前の椅子に座るように促す。
 古びた椅子を引き、腰を下ろす。
 テーブルの横には天井まで届くほどの高い書棚があり、ぶ厚い本がびっしり敷き詰められている。
 向こうの壁側には、小さく区切られた棚と作業台がある。瓶漬けにされた薬草や乾燥させた花、三角フラスコ、試験管などが目に入った。

(理科の実験みたいな風景ね……)

 雑多な印象の室内を見渡し、この空間と店を区切る布に視線を止める。布の向こう側はしんと静まりかえっている。足音一つしないところを見ると、その場で立ったまま待ってくれているのだろうか。

「あのカーテンには防音の魔法が仕込んである。聞かれる心配はないよ」

 まるで心を見透かしたような言葉に曖昧に頷く。
 イザベルはふっと肩の力を抜き、伯爵令嬢としてでなく素の自分で質問する。

「ええと、あなたが魔女……なんですね?」
「いかにも。五百年を生きる魔女とも呼ばれている」
「では、あなたが白い魔女?」
「……ああ、そういう呼び方もあったね」

 昔の記憶を思い出しているのか、魔女の目が細められる。
 物語のような黒髪ではないが、彼女の独特なオーラは魔女と呼ぶにふさわしい威厳がある。

(……これが魔女……本当にいたなんて……)

 やはりここはファンタジーの世界なのだ、と今更ながら実感してしまう。

「それで? 一体、魔女に何を望む?」
「……声が出せなくなった人がいるのです。毒薬の類だと思われるのですが、その毒が新種らしく、解毒薬が見つからなくて……」
「毒? 命を脅かすような代物なのかい?」

 つらそうなナタリアの顔を思い出し、胸が締めつけられた。
 けれど、今は落ち込んでいる場合ではない。

「いいえ。声以外は無事です。ただ、その人がやってきた悪事によって変わる毒薬を飲まされたらしく、どの解毒薬も効かないのです」
「なんとまあ……不思議な効能だね。それは本当に毒薬だったのかね」
「わかりません。ですが、彼女は今も苦しんでいます」

 ゲームのシナリオどおりに、悪役令嬢として毒薬を盛られた。これは偶然なんかじゃない。言わば必然だ。

「……救いたい人っていうのは、それほど大切な人なのかい?」
「え?」
「知らないのかい。魔女の秘薬は代償がつくんだよ。ただの善意なら、諦めるんだね」

 突き放すような口調に戸惑いつつも、イザベルは必死に弁明した。

「彼女はわたくしの身代わりに毒薬を飲まされた可能性があります。本当なら、わたくしが飲んでいたはずなのに、だから……っ!」
「だが、喋ることができないだけなんだろう? 時間が経てば、そのうち喉は元に戻る可能性もある。何をそんなに焦っているんだい」

 焦っていると言われて、そのとおりだと歯がみする。
 ただ、焦っているだけでは何も解決しない。彼女を納得させなければ、魔女の秘薬を手に入れることもできない。
 イザベルは居住まいを正し、青い瞳を見つめ返す。

「自分のせいで身代わりになってしまった。わたくしには責任があります。彼女の声を取り戻したい。不幸な結末に、無関係の人を巻き込むことはできません。一連の原因がわたくしにあるというのなら、解毒薬も自分の手で探し出そうと、そう思った次第です」

 ありのままの思いを吐露すると、魔女は何かを考えるように黙りこんだ。

「嘘をついている様子はないし、その話、信じてもいいだろう」
「だったら……っ!」
「ああ、せっかちなお客さんだね。面接はクリアだ、仕事を引き受けよう。だが特急料金ともなると、依頼料も跳ねあがるよ。念のために確認するが、懐事情は大丈夫だろうね」

 値踏みするような視線が投げかけられ、イザベルは胸を叩いた。

「もちろんです! 支払いはリシャール……じゃなくて、ルドガーお兄様がなんとかしてくれるはずです」

 リシャールの名前でぴくりと眉が動いたものの、魔女は表情を崩さなかった。
 おもむろに椅子から立ち上がり、口元を緩める。

「幸い、解毒薬の材料はストックがある。今から用意するから、そこでお待ち」
「え……でも、代償は? わたくしはまだ何も払っていません」

 願い事に見合った対価を払わねば、魔女は力を貸さない。
 レオンが懸念していたことを思い出す。一体何を要求されるのだろう、とこわごわと見ると、魔女は肩をすくめた。

「命を差し出せとでも言われると思っていたかい? 今どき、そんな時代錯誤な要求するわけないだろう。要するに、魔女の代償は覚悟を試すための方便みたいなものさ」
「え、では……?」
「お嬢さんの覚悟はしっかり受け取った。金銭的見返りだけで結構だよ」

 その言葉を聞いて、緊張の糸がぷつりと切れた。椅子になだれ込むようにして座ると、しゃきっとおし! というお叱りの声が飛んできた。
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