悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
「十年前だったかな、先代魔女が森を出たんだ。今あそこへ行っても、もぬけの殻だろうね」
「つまり、魔女は住まいを移したと、そういうことですか」
「そうだよ。無論、その住まいにも監視の目はついているから、場所は把握している。君が望むのなら、特別に教えてあげてもいい」

 おかしい。思ったより事がうまく進んでいる。否、進みすぎている。
 訝しんでいると、ただし、と言葉が続いた。

「条件がある」
「……なんでしょうか」
「ジェシカ嬢との仲を取り持ってほしい」
「は?」
「彼女に冷たくされ、どうやら本気の恋に目覚めてしまったらしい。親友の君なら、仲立ちもできるだろう?」

 思ってもみなかった交換条件を提示され、イザベルは悩んだ。
 大事な友達を売るような真似はできない。ジェシカは同性を愛でるという変わった性癖の持ち主だが、かけがえのない友達なのだ。

「ジェシカが本当に嫌がることは、わたくしにはできません」
「一度だけでいいんだ。チャンスをくれないか」
「……本気の恋を、伯爵は一度だけのアプローチで諦められるのですか?」

 素朴な疑問を投げかけると、ルーウェンは脚を組み替えて嘆息した。

「困ったな。そう言われると否定しにくいじゃないか」
「……ジェシカを泣かせるような真似をした場合、二度と王国にいられないように取り計らうかもしれません。本当にその覚悟があると?」

 白銀の宰相に力を借りることも厭わない。そう言外に含ませると、ルーウェンは重々しく頷いた。

「もちろん。最愛の人を泣かせるわけにはいかないからね。彼女の一番になりたいんだ。協力してくれるかい?」

 ただの遊びの延長というわけではないようだ。
 そこまでの覚悟があるなら、協力するのも悪くはないかもしれない。

「……わかりました。ルーウェン様の覚悟、信じましょう」
「取り引き成立だね」
「ですが、うまくいくとは限りませんよ? わたくしができるのは、二人を引き合わせるまでです。そこからはルーウェン様の力の見せどころですよ」

 念のために忠告すると、彼はわかっているよ、と請け負った。
 それからスッと立ち上がったかと思えば、近くにある棚の引き出しを開けて、メモ用紙と羽根ペン、それらインクを取って戻ってくる。
 インクにつけたペン先がさらさらと動き、しばらくして渇ききっていない用紙をそのまま渡される。

「この店を訪ねてごらん」
「……城下町の地図、ですか」
「木を隠すなら森の中って言うだろう? いかにもって場所にある小屋も悪くないけれど、市井にとけ込んでいる魔女もいるってことさ。秘密にしておきたい存在をできるだけ遠くへ隠すっていう思考の逆をついたパターンだね」

 なるほど、とイザベルが頷くと、ルーウェンは困ったように笑う。

「これが案外いい目くらましみたいでね。びっくりするくらい誰も疑わないから、こっちが拍子抜けしちゃったよ」
「魔女は思ったより……たくましい心をお持ちなんですね?」
「そうじゃないと、今まで生き残れなかったと思うよ」

 監視がつけられていることは、魔女も当然知っているだろう。
 それだけ危険視されている人物が生き抜くには、心も強くあらねばならない。もし自分が逆の立場だったら、同じように振る舞うのは難しいと思う。
 そこまで考えたところで、低い声音が現実に引き戻す。

「ただね、私が何度行っても、一度として魔女は姿を現さない。だから会える確証はない。それでも行く気かい?」
「もちろんです」

 ようやく得た手がかりだ。すぐには無理でも、場所がわかれば、そのうち接触できるだろう。いや、何としてでも会ってみせる。
 気負うイザベルに、ルーウェンは硬い声で忠告する。

「魔女の存在は、禁忌にも等しい。わかっていると思うけど、これは他言無用だよ」
「……心得ています。このご恩、後ほど返させていただきます」
「ああ。そのときを待っているよ」

 孫を見守るような微笑みを向け、ルーウェンは片目をつぶった。
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