悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 伯爵令嬢らしい高飛車な言動は、イザベルの唯一の盾でもある。
 悪役顔らしいつり目と、絶対的な権力のせいで誤解されることが多いが、本来のイザベルは悪役には不向きな性格だった。

(旧校舎で隠れて懺悔したり、影でこそこそ雑務を手伝ったりしていたのよね。ゲームでは語られなかった設定だけど、いまいち悪役になりきれないというか……)

 高貴な振る舞いが板についていた悪役令嬢の中身は、実に繊細だった。
 本当の彼女は、自分の弱さをひた隠しにしていた。周りからの期待に応えるべく、強気であろうと頑張った結果、悪役令嬢のレールに乗っていたのだ。

(こうして考えると、イザベルが不憫でならないわ。好きで悪役になったわけではないのに……。とにかく今は、臆している場合じゃないわ。乙女ゲームを思い出して、悪役令嬢のイザベル・エルラインになりきるのよ!)

「それでは、リシャール様。イザベル様によろしくお伝えください」
「ご伝言、確かに承りました」

 女生徒二人が教室を後にする。その場に取り残されたのは、リシャールとイザベルのみ。
 早くしなければ、リシャールがこのまま去ってしまう。
 腹をくくるより他なかった。吸いこんだ息を吐き出し、イザベルは暗幕の影から姿を出した。

「やはり、あなたでしたわね」
「……イザベル様……。いつからそちらに?」
「十分ほど前ですわ」

 冷や汗が背中を伝い落ちる。しかし、焦りと不安をあらわにしてはいけない。令嬢たるもの、このぐらいの駆け引きはお茶の子さいさいだ。

(……やっぱり前言撤回! こんな緊張感、もうすでに耐えられない!)

 乙女の最大の武器は、不敵な微笑だ。メイド長直伝の令嬢マナーの心得を思い出し、イザベルは無理やり口角を上げ、淑女の笑顔をはりつかせる。
 リシャールはやや驚いた顔で、なるほど、と頷いた。

「はじめから私を疑っておいでだったというわけですね。理由をお聞きしても?」
「ふふ、乙女の勘とだけ言っておきますわ」

 表面上は余裕ぶって答えたものの、イザベルの内心は穏やかではない。

(これが夢だったら、どんなによかったか……! ああもう、誰か嘘と言ってちょうだい……っ)

 ゲーム中にこんなシーンはなかった。つまり、どう対処すればいいのか、ベストな選択肢がわからない。まったくの未知の領域だ。
 この会話をどうするかで、きっと未来のありようは変わってしまう。
 しかも、選択肢を間違えたら最悪、バッドエンドルートに入る恐れもある。
 悪役令嬢としてのバッドエンドは老婆になり、人里離れた場所で一人さびしく生きることだ。一方、乙女ゲームの主役でもあるフローリアのバッドエンドは、攻略対象の男たちから手ひどく振られ、修道院に入る未来だ。
 甘い考え方かもしれないが、できればフローリアには幸せになってもらいたい。

「そうですか。バレてしまったものは仕方ないですね」

 リシャールは肩をすくめるが、その顔はすがすがしい。まるで、バレてホッとしているようにも見えた。

「まだ信じられないわ。あなたは、わたくしの味方だったのではないの?」
「味方かそうでないかと問われたら、イザベル様は私の敵ですね」
「……敵……」

 はっきりと線引きをされ、イザベルは心臓をつかまれたような、強い衝撃を受けた。
 リシャールは年が近いということもあり、姉弟のようにして育った。
 執事としての仕事能力も申し分なく、家族のみならず、使用人からも信頼が厚い。正直、名ばかりの見習いだと思っていた。
 時に小言が多くなる日もあるが、全幅の信頼を寄せていた。それなのに、手のひらを返されるような態度の急変に、理解が追いつかない。
 イザベルからすれば、弟のように親しく思っていた者から、いきなり宣戦布告されたようなものだ。
 すぐには受け入れがたい現実に、言葉をなくす。
 口をつぐんだ主人を見て、エルライン家の優秀な執事見習いは、無慈悲なまでにキッパリと言い切る。

「代々ミュラー家が仕える主人として、これまで執事見習いを務めてまいりましたが、状況が変わりました。私はイザベル様の味方にはなれません」
「…………」
「ただちに婚約破棄をなさってください」

 思いがけない単語が飛び出し、目が点になる。聞き間違いかと逡巡している間にも、リシャールは繰り返すように言う。

「ジークフリート様とのご婚約、破棄していただきたく存じます」
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