悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
放課後、イザベルは自分の庭でもある旧校舎にいた。
高等部に進学以降、週に数日はひとり懺悔大会を開いていたのに、ここしばらくはそんな余裕すらなかった。
(ここに来るのは……あの身体測定の日以来ね)
イザベルの涙ぐましい努力の甲斐なく、身長は一昨年と変わらなかった。今思い出しても、あのときの絶望感は相当のものだった。
(うーん。前世でも身長が低いほうだったけど、そこまで悲観することないと思うのだけど。「イザベル」は身長がコンプレックスだったから、なおさらグサリと刺さったのかしら)
人ごとのように分析していると、外から足音が聞こえてきた。
夏の暑さに対抗するように、たくましく生長した雑草を踏み越え、塀が不自然に崩れた箇所から顔を出す。
「フローリア様! こちらですわ」
手招きすると、フローリアはホッとしたように挨拶を返す。
「まあ、イザベル様。こんにちは」
「ここの入り口は狭いから、向こうの裏門に回ってくださる?」
「あちらですね。わかりました」
迂回ルートを教えると、フローリアは心得たように頷く。
裏門の鍵は前もって外してある。二メートルある門扉はさびつき、フローリアが扉を押すと、ギィギィと不快な音がする。
「いらっしゃい。こっちよ」
すぐそばの中庭へ案内すると、フローリアはきょろきょろと珍しそうに周囲を見渡す。
「こんなところに建物があったんですね」
「今は使われていない旧校舎で、ご覧のとおりの廃れ具合だから、ここには誰も来ないはずよ」
雑草は伸び放題で、景観は損なわれているが、秘密の話し合いにはこれ以上ないスポットだ。
「一人きりになりたいときに、ここへ来るの。人目があるところでは、お話なんてできないでしょう? だから、ここなら大丈夫かと思って……」
「……よかった。果たし状ではなかったのですね」
「え、果たし状?」
時代劇や決闘を彷彿とさせるキーワードが出てきて、イザベルは当惑した。
フローリアは、ええ、と深刻な顔で頷く。
「手書きの地図と一緒に『午後四時、指定した場所に来られたし』って、書いてあったものですから。なにか決闘でも申し込まれたのかと……。差出人も不明でしたし」
改めて自分のしでかしたことを説明され、イザベルは血の気が引いた。
(やってしまった……第三者の口から聞くと、自分の過ちがよくわかる。確かに果たし状みたいな言い回しだわ……)
筆跡や言い回しを変えようとした結果、裏目に出てしまった。
決闘と間違えられるような文才は、伯爵令嬢として由々しき問題がある。
「ご、ごめんなさい。わたくしが書いたとバレないように、いつもと違った文章にしようと思って……でもそうね、果たし状にしか見えない文面よね」
「いえ。花柄のかわいらしい便箋だったので、もしかしてそうではないかな、とは思っていましたから」
主人公の洞察スキルも侮れない。乙女ゲームにありがちの鈍感スキルは、まだ発動されていないらしい。
イザベルは視線をさまよわせながら、指を交差させる。
「あれから……その、嫌がらせとかはどう?」
「そうでした! 一週間前から、パタリと嫌がらせがなくなったんです! たまに先輩方からやっかまれることはありますが、許容範囲内なので問題はありません。それよりも、一体どうしたんでしょうね?」
一週間前というと、ちょうどリシャールの宣戦布告を受けた日だ。
やや強引にこじつけた取引は、守られていると思っていいのだろう。
「……理由はわからないけど、嫌がらせがなくなったのなら、よかったわ」
「そうですね。これで上下左右を気にせず、堂々と歩けますし」
さらりと告げられた衝撃的な事実に、イザベルは耳を疑った。彼女の言葉を頭の中でかみ砕き、慎重に問いかける。
「ちょっと待って……。毎日、そんな風に緊張感と隣り合わせだったの?」
「油断したら最後、何が降ってくるかわからないですから」
「なんて過酷な状況なの……」
「密偵の修行みたいで、慣れたら何とかなるものですよ」
嫌がらせをゲーム画面ごとで見るのと、現実で受けるのとでは雲泥の差があるのだろう。怖いと思った感情をなかったことにはできない。
たび重なる危機によって警戒心が強まるのは、当然の成り行きだ。
「フローリア様……」
今までの不遇に同情していると、フローリアは淑女の笑みを浮かべた。
「ですから私、もし縄で拘束された日のために、脱出テクニックも覚えました! 牢屋の鍵も、簡単なものなら開けられるように特訓しています」
「そのスキルって必要なの!?」
「人生は何があるか、わかりません。用心するのに越したことはないと、この学園に来てから実感しました」
力説するフローリアの意志は固そうだ。
(ピッキング技術を特訓するヒロインなんて、聞いたことがない……)
男爵令嬢として間違った方向に進もうとしているヒロインの姿に、イザベルはめまいがした。乙女ゲームの趣旨からも、大きく外れている気がする。
同じ令嬢として止めた方がいいのだろうが、今まで彼女にふりかかった災難を思い出し、説得は無意味だと感じた。
彼女にしたら、命の危機の連続だったのだ。
そして、イザベルはその危機を一度だけ救ったことがある。それがきっかけで仲良くなったわけだが、イザベルの内心は穏やかではない。
(ううん……シナリオが変に狂わなければいいのだけど……)
イレギュラーな出来事の連続に、予感めいた胸騒ぎを覚えた。
高等部に進学以降、週に数日はひとり懺悔大会を開いていたのに、ここしばらくはそんな余裕すらなかった。
(ここに来るのは……あの身体測定の日以来ね)
イザベルの涙ぐましい努力の甲斐なく、身長は一昨年と変わらなかった。今思い出しても、あのときの絶望感は相当のものだった。
(うーん。前世でも身長が低いほうだったけど、そこまで悲観することないと思うのだけど。「イザベル」は身長がコンプレックスだったから、なおさらグサリと刺さったのかしら)
人ごとのように分析していると、外から足音が聞こえてきた。
夏の暑さに対抗するように、たくましく生長した雑草を踏み越え、塀が不自然に崩れた箇所から顔を出す。
「フローリア様! こちらですわ」
手招きすると、フローリアはホッとしたように挨拶を返す。
「まあ、イザベル様。こんにちは」
「ここの入り口は狭いから、向こうの裏門に回ってくださる?」
「あちらですね。わかりました」
迂回ルートを教えると、フローリアは心得たように頷く。
裏門の鍵は前もって外してある。二メートルある門扉はさびつき、フローリアが扉を押すと、ギィギィと不快な音がする。
「いらっしゃい。こっちよ」
すぐそばの中庭へ案内すると、フローリアはきょろきょろと珍しそうに周囲を見渡す。
「こんなところに建物があったんですね」
「今は使われていない旧校舎で、ご覧のとおりの廃れ具合だから、ここには誰も来ないはずよ」
雑草は伸び放題で、景観は損なわれているが、秘密の話し合いにはこれ以上ないスポットだ。
「一人きりになりたいときに、ここへ来るの。人目があるところでは、お話なんてできないでしょう? だから、ここなら大丈夫かと思って……」
「……よかった。果たし状ではなかったのですね」
「え、果たし状?」
時代劇や決闘を彷彿とさせるキーワードが出てきて、イザベルは当惑した。
フローリアは、ええ、と深刻な顔で頷く。
「手書きの地図と一緒に『午後四時、指定した場所に来られたし』って、書いてあったものですから。なにか決闘でも申し込まれたのかと……。差出人も不明でしたし」
改めて自分のしでかしたことを説明され、イザベルは血の気が引いた。
(やってしまった……第三者の口から聞くと、自分の過ちがよくわかる。確かに果たし状みたいな言い回しだわ……)
筆跡や言い回しを変えようとした結果、裏目に出てしまった。
決闘と間違えられるような文才は、伯爵令嬢として由々しき問題がある。
「ご、ごめんなさい。わたくしが書いたとバレないように、いつもと違った文章にしようと思って……でもそうね、果たし状にしか見えない文面よね」
「いえ。花柄のかわいらしい便箋だったので、もしかしてそうではないかな、とは思っていましたから」
主人公の洞察スキルも侮れない。乙女ゲームにありがちの鈍感スキルは、まだ発動されていないらしい。
イザベルは視線をさまよわせながら、指を交差させる。
「あれから……その、嫌がらせとかはどう?」
「そうでした! 一週間前から、パタリと嫌がらせがなくなったんです! たまに先輩方からやっかまれることはありますが、許容範囲内なので問題はありません。それよりも、一体どうしたんでしょうね?」
一週間前というと、ちょうどリシャールの宣戦布告を受けた日だ。
やや強引にこじつけた取引は、守られていると思っていいのだろう。
「……理由はわからないけど、嫌がらせがなくなったのなら、よかったわ」
「そうですね。これで上下左右を気にせず、堂々と歩けますし」
さらりと告げられた衝撃的な事実に、イザベルは耳を疑った。彼女の言葉を頭の中でかみ砕き、慎重に問いかける。
「ちょっと待って……。毎日、そんな風に緊張感と隣り合わせだったの?」
「油断したら最後、何が降ってくるかわからないですから」
「なんて過酷な状況なの……」
「密偵の修行みたいで、慣れたら何とかなるものですよ」
嫌がらせをゲーム画面ごとで見るのと、現実で受けるのとでは雲泥の差があるのだろう。怖いと思った感情をなかったことにはできない。
たび重なる危機によって警戒心が強まるのは、当然の成り行きだ。
「フローリア様……」
今までの不遇に同情していると、フローリアは淑女の笑みを浮かべた。
「ですから私、もし縄で拘束された日のために、脱出テクニックも覚えました! 牢屋の鍵も、簡単なものなら開けられるように特訓しています」
「そのスキルって必要なの!?」
「人生は何があるか、わかりません。用心するのに越したことはないと、この学園に来てから実感しました」
力説するフローリアの意志は固そうだ。
(ピッキング技術を特訓するヒロインなんて、聞いたことがない……)
男爵令嬢として間違った方向に進もうとしているヒロインの姿に、イザベルはめまいがした。乙女ゲームの趣旨からも、大きく外れている気がする。
同じ令嬢として止めた方がいいのだろうが、今まで彼女にふりかかった災難を思い出し、説得は無意味だと感じた。
彼女にしたら、命の危機の連続だったのだ。
そして、イザベルはその危機を一度だけ救ったことがある。それがきっかけで仲良くなったわけだが、イザベルの内心は穏やかではない。
(ううん……シナリオが変に狂わなければいいのだけど……)
イレギュラーな出来事の連続に、予感めいた胸騒ぎを覚えた。