悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 制服から着替え終わった後、イザベルは自室の革張りの椅子に腰かける。壁際でお茶の用意をしている背中を眺め、つい顔をしかめてしまう。

「ねえ、リシャール……」
「なんでしょうか。イザベル様」

 打てば響くような返事は、いつもどおり。だけど今日だけは、それが一番解せない。

「あなた、わたくしに宣戦布告したのではなかったかしら?」
「さようにございます。それが何か?」

 平然と言ってのけられ、イザベルは返事に詰まる。
 一見無害そうな笑顔をいくら見つめても、その裏にある感情までは読めない。イザベルは駆け引きを諦め、本題に入った。

「どうして敵のお世話をまめまめしくしているのか、わたくしには謎でならないのだけど」
「執事たるもの、いついかなるときも主人のお世話が最優先ですので。私事で仕事をサボるような真似はしませんよ」

 そう言いながらリシャールは、淹れたての紅茶をどうぞ、と差し出す。あまりにも自然な流れで渡され、イザベルは反射的に受け取る。
 鼻腔をくすぐる香りに、思わず声がもれる。

「……今日は茶葉が違うのね」
「さすがお嬢様、よくお気づきになりましたね。これは外国の商人により買い付けてきた、南国産の茶葉です。すっきりとした甘みが特徴で、美容にもよいそうです」
「へえ、そうなの……ってそうじゃなくて! 普通は敵と認定したなら、それなりに態度が変わるものでしょう!」

 声高に抗議すると、リシャールは涼しい顔で答えた。

「それはそれ、これはこれです。それに給金がなくなると、現実問題として路頭に迷うことになります」

 敵地に居座るずぶとい神経は、一体どこで培われたのか。問いただしたいけれど、彼はきっとのらりくらりかわすに違いない。
 イザベルは額に手をやった。

「……頭が痛くなってきたわ」
「それはいけませんね。頭痛薬をお持ちしましょうか?」
「いらないわ」

 即答すると、リシャールは肩をすくめて見せた。

「……さて、お嬢様。これからどうしましょうか」
「どう、とは?」
「ジークフリート様から婚約破棄してもらう方法ですよ。なにかいい案、ありません?」
「そうね……婚約破棄されるには、それ相応の理由が必要よね」
「ですよね。私もそれで悩んでいるんです。エルライン伯爵家の評判を落とすことなく、婚約破棄をしてもらわねば、お嬢様の嫁ぎ先がなくなってしまいます」
「嫁ぎ先……なるほど、その問題があったわね……ん?」

 イザベルはふと我に返り、慌てて口を手で覆った。

(……しまった! 今、リシャールとわたくしは敵同士だった!)

 うっかり誘導尋問に引っかかるところだった。日常会話のように話を振られ、つい受け答えしてしまったが、仮にも宣戦布告された仲ではないか。
 リシャールはこっちの動揺も予想の範疇なのか、笑顔を崩さない。
 油断大敵だ。敵の罠にこうも簡単にハマってしまうなんて、不覚としか言いようがない。

(いやでも待って……。もともと、こっちも平和的な婚約破棄が目的だったのだから、ここは腹を割って話せば……)

 協力者になれるのではないだろうか。敵にすると厄介だが、味方にするならこれ以上に頼もしい存在はいない。
 リシャールを無言で見つめていると、彼は不思議そうに小首を傾げた。

「どうしました?」
「ひとつ、確信していることがあるのだけど」
「伺いましょう」

 背筋を伸ばして話を聞く姿勢を見て、イザベルは咳払いしてから言う。

「ジークフリート様との婚約破棄だけど、何もしなくても、一年以内にされるはずよ。早ければ半年以内じゃないかしら」
「……一応聞きますが、その根拠は?」
「え。根拠……? 根拠は……フローリア様よ! 先日も東屋に二人きりでいたし、あれがただの友人の関係のはずないわ!」

 自信満々で断言すると、リシャールは考え込むように、顎に人差し指を押し当てる。焦れるような数分後、やがて遠慮がちに口を開く。

「先ほどの話をまとめますと、お嬢様は婚約破棄されたいということになりますね。ですが、負け戦がどうの、とおっしゃっていませんでしたか?」
「…………」

 確かに言った。そして、買わなくてもいい喧嘩を買った。
 そこまで分析したところで、イザベルは自分の失態をようやく悟る。
 氷のように固まった主人を見て、リシャールはイザベルの真横に立つ。椅子に腰かけたままだったため、見上げる姿勢になる。

「本題に戻りましょうか。どうやら婚約破棄はお嬢様もお望みのようですし、この際、執事と禁断の恋でもしてみますか?」

 後半は耳元でささやかれ、イザベルはとっさに耳を手で隠す。

「……っ」
「ああでも、これは意外に良策かもしれませんね。ジークフリート様がイザベル様を諦めやすくなる」
「じょ、冗談じゃないわ!」

 震える声を必死に抑え、立ち上がって抗議する。

(禁断の恋とか、そういうフラグを立てないで! 黒薔薇ルートなんて、一周すればもうじゅうぶん!)

 このゲームの主人公はあくまでフローリアだ。つまり、彼の攻略はイザベルの管轄外である。そもそも黒薔薇ルートを二周もする気なんて、さらさらない。
 それに、悪役令嬢が執事見習いに口説かれるなんてシナリオ、誰が得をするというのか。待っているのは悲恋か、悲劇の予感しかない。
 というより、心の準備もできていないのに、不意打ちに口説かれるなんて心臓に悪すぎる。純情な乙女心をもてあそばないでいただきたい。
 非難するように目で訴えると、リシャールは澄ました顔で言う。

「では、他の殿方に頼みましょうか。イザベル様を口説いてくださる方というと、ライドリーク伯爵あたりにでもお声がけしてみましょうか」

 新たに提示された代替案に、イザベルは目を見張った。

「リシャール。ちょっと待ちなさい」
「なんでしょう?」
「紫薔薇の伯爵だけはやめて。あの人と恋仲になる噂が流れるくらいなら、わたくしは外国にでも逃げます」
「……伯爵はそこまで嫌われているのですか。私は案外、いい人だと思うんですけどね。まあ、そこまでおっしゃるなら伯爵は諦めます」

 フラグをへし折った。グッジョブ! と自分を褒める。

(万が一、あの人と恋仲と疑われたら、不名誉な噂が流れるに決まってる……!)

 淑女は噂話が好きだ。とりわけ、恋の話は特に。
 噂はあっという間に広がり、面白おかしく脚色されたエピソードが話の種になるのは明白だ。不名誉な噂は、イザベルのプライドに関わる。

(それにしても、悪役令嬢がリシャールの本性を暴いてしまうなんて……。攻略ルートに弊害が出なければいいのだけど)

 幸か不幸か、リシャールはそれ以上話を広げることはしなかった。
 作戦を立て直すためというより、イザベルの動向を探るようだったが、細かいことは気にしないことにする。

(それにしても、リシャールがこれだけ婚約破棄にこだわる理由……気になるわね)

 乙女ゲームのシナリオを思い返すが、動機がまるで思い当たらない。
 しかし、面と向かって問いただしても、この執事見習いは簡単には口を割らないだろう。

(これは……またしても詰んだかもしれない)
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