悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 翌日、お昼のサロンにはレオンの姿があった。
 むすっとした顔で、腕を組む姿は孤高の王子らしい。同級生は遠巻きに見るものが大半で、ごく少数がレオンの前でも臆せず世間話をしていた。その少数は、先輩のお姉さま方だ。
 好奇心旺盛な彼女たちは楽しそうに話しかけているが、対するレオンの表情はやや引きつっている。それでも逃げ出さないだけ進歩だ。
 サロンの入り口から見つめているイザベルに気がつくと、レオンは俊敏に立ち上がった。失礼、と断りを入れて大股で歩いてくる。

「言っておくが、お前に諭されたからじゃないからな。次期国王となる兄上の面目を保つためにも、サロンにも顔を出そうと思ったまでだ」

 まだなにも言っていないのに、レオンは自分から言い訳をはじめた。これは相当、いたたまれなかったのだろう。
 とはいえ、慣れないサロンの空気に耐えたとは健気なものだ。これまでは、めったに顔を出さなかったのに、その努力は賞賛に値する。
 イザベルは大きくうなずき、レオンを称えた。

「もちろん、わかっております。ご立派ですわ」
「我が子の成長を慈しむような目で見るのはよせ。お前、俺をなんだと思っている」

 はたから聞いたら喧嘩腰と思われるかもしれないが、ツンデレ特有の言動を訳すると、恥ずかしがっているだけだ。

(ああもう、よかった。レオン王子も少しずつ変わろうとしてくれている)

 イザベルは慈愛に満ちた瞳を向けた。

「友人として、うれしい限りですわ」
「……友人か」
「ええ、友人です。あ、それとも腐れ縁のほうがお好みでしたか」
「そんなわけないだろう! お前、わかってて言っているな!?」

 レオンは噛みつくような勢いで言い返す。女生徒が一目散に逃げ出すような険悪な顔つきだったが、いつも怒っている顔を見慣れているため、効果はまったくない。

「そういえば、もうすぐお誕生日でしたよね? 何かほしいものとか、ありますか?」
「……特には思いつかないな。何も困っていないし、特別にほしいと思うものはない」

 予想どおりの答えが返ってきて、イザベルは微笑で受け止めた。

「例年と変わらない回答、ありがとうございます。まったく参考になりませんでしたわ」
「……悪いな、いつも」
「いいえ? これも友人の腕の見せ所ですから。それよりも、レオン王子は気分によって授業をサボるような真似、もうしないでくださいよ」
「……善処しよう」

 気まずそうに視線をそらすレオンを見て、イザベルは両手を合わせる。

「そうですね。王子にしたら、サロンに来るのも大進歩ですものね。ご褒美に、頭をなでなでしてあげましょうか」
「不要だ! その手もひっこめろ!」
「残念ですわ……。一度、その素敵な金髪にさわってみたかったのですが」
「……い……一回ぐらいなら許す」
「まあ、本当ですか? うれしい! ではちょっと、失礼しますね」

 許可が出たので、遠慮なく手を伸ばす。しかし、彼の頭までは腕が届かず、見かねたレオンが身近のソファに座ってくれた。

(こういう気遣いが自然とできることが、レオン王子の魅力よね。ゲームだけだと、わからなかったけれど……)

 ツンデレ王子が待っている間に、さっさと目的を果たさなければ。

「じゃあ、行きますよ……!」
「余計な気合いを入れるな。早く終わらせてくれ」

 うんざりするような声は聞かなかったフリをして、イザベルは金髪をそっと撫でた。
 想像よりも柔らかい髪質に驚きつつ、手ぐしの要領で指を絡ませてみる。
 ほつれた髪に引っかかることもなく、試しにつまみ上げた髪の毛はするりと指の間を抜けた。

「ふさふさしているのに、指どおりもなめらかですね。まあ、なんて上質な毛並みなんでしょう」
「待て、まるで犬に対する褒め方になっていないか?」
「気のせいです」

 ああ、ふかふか……。
 光加減でキラキラと輝く髪も、一段と神々しい。

「これは撫でるだけで癒やし効果がありますね。ずっと触っていたいぐらいです。はあ、この毛並み……やっぱりいいですわ」
「おい、やっぱり人扱いされていない気がするぞ」
「気のせいです」

 同じ言葉を繰り返す。大事なことだからだ。
 たとえ、前世で飼っていた愛犬を思い出していたとしても、本音は隠さねばならない。これは、レオンのプライドを守るための優しい嘘なのだ。
 しばらくイザベルの好きなようにさせていたレオンだが、数分たっても撫でられ続けることに焦れたのか、苛立ったように手を振り払う。

「もう十分だろう!」
「……残念です。もっとモフモフしたかったのに」
「やっぱり犬扱いじゃないか。……もういい、お前には何も期待しない」
「あら。何かを期待していたのですか?」
「言葉のあやだ!」

 怒鳴られても全然怖くない。生暖かい目で何事もなかったように流した。
 だが、それがいけなかったのか、レオンは舌打ちをしてイザベルの右手を取った。

「王子……?」
「イザベルは態度はでかいのに、手はこんなに小さいのな。指も細いし……」

 しげしげと見つめられ、イザベルは息が詰まった。
 男らしい角ばった手と比較すると、自分の小さい手は子供みたいだ。その事実が男女差を否応なく感じさせ、手に汗がにじむ。
 前世もそうだが、同世代の男子とこうした直接的なふれあいは皆無だ。
 真面目な婚約者は節度を守り、一定の距離を詰めるような真似はしてこなかった。過剰なスキンシップを一方的にしてくる兄は家族枠だ。

(っていうか、この状況は……いたたまれない)

 レオンは、ぷにぷにと感触を確かめるように指を挟んだり揉んだりしてくる。物珍しそうに確かめる様子に悪気はない。そもそも意趣返しという当初の目的を忘れている可能性もある。

「あの、そろそろ……」
「失礼。レオン殿下、少し彼女をお借りしても?」

 声をかぶせた先に視線を向けると、仏頂面の婚約者がたたずんでいた。

「ジークフリート様!」
「君は目を離すと、すぐにふらつく。早くしないと、食べる時間がなくなるぞ」

 自然な動作で腰に手を回され、そのままサロンのテーブル席へ案内される。おとなしく着席すると、ジークフリートがその横に座る。
 テーブルクロスの上には、シェフが手間暇かけた創作料理が並んでいた。彩りも鮮やかだ。旬の野菜を使って花をかたどった料理は、見るだけでも価値があるほど、芸術性が高い。
 ちらりと横をうかがってみると、視線に気づいたジークフリートが優雅に笑う。自分にも他人にも厳しい彼が、たまに見せる微笑。
 それを見ることができる条件はふたつ。好感度が半分以上、かつ、愛を囁くイベントシーンだ。
 そこまで思い出したところで、耳にふっと息が吹きかけられる。

「君の席は僕の横だろう?」
「っ……!」

 内緒話のように囁かれ、イザベルの心拍数は急上昇した。心なしか顔も赤い気がする。

(くっ……さすがは白薔薇の貴公子ね。生で聞くと破壊力がすさまじいったらないわ! 平常心が保てない)

 内心大慌ての自分とは違い、ジークフリートは涼しい顔でランチを満喫していた。
 文句を言いたくても、どの言葉も口のなかで空回りしてしまう。
 イザベルは反撃するのを諦め、フォークを手に取った。なんとも居心地が悪い中、料理を口に運ぶ。
 しかしながら、いつもは舌鼓を打つシェフ自慢の手料理でさえ、まったく味がわからなかった。
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