訳アリなの、ごめんなさい
「アーシャは俺と結婚するのは嫌じゃないか?」

夏の夜の深夜、2人でなかなか勝負のつかないチェスをしていると、不意にブラッドがそんな事を聞いてきた。


「べつに嫌じゃないわ?だってブラッドと結婚したら、毎晩コソコソせずにチェスの勝負ができるじゃない?」

その時まだ9歳くらいだっただろうか、私の返事は本当に子どもらしいもので。

「チェスのためか」

少し残念そうに呟いたブラッドの言葉には気づかなかった。








カチャカチャと、不規則に何かがぶつかり合う音が私の意識を引っ張った。

ぼんやりと瞳を開ければそこは馴染みのあるベッドの天蓋で、それをぼんやりとみつめる。

あれ?私どうしたんだっけ?


なんだかとてつもなく身体がだるくて重い。

そして頭がうまく働かなかった。


そんな中で思い出したのは、、、異母兄


「アーシャ?目覚めたのか?」


不意に名前を呼ばれて、私の意識はその恐ろしいものから逸れた。


「ブラッド??」

どこからかブラッドの声がするけど、私の首は、固定されているのか、動くことが無かった。

そう言えば、私は自ら命を絶とうとしたのだ、、、そして今ここにいると言う事は、、、。


喉の奥がグッと詰まる。
じわりと瞳が熱くなった。


私は死に損ねてしまったのだ。
そして彼のもとに戻ってきてしまった。


視界にブラッドが姿を表して、私を見下ろす。


心の底から安堵したような、そんな笑みを彼は浮かべていて。


「痛いところはないか?欲しいものは?ここはどこだか分かるか」



私の顔にゴツゴツと剣ダコだらけの手を這わせて柔らかく撫でながら、矢継ぎ早に質問をしてくる。

「大丈夫よ、、わたし?」

自分の置かれている状況が理解できなくて、戸惑いながら彼を見上げる。


「自分で首を切ったのは覚えているか?もう少し早く助けに入っていれば、そんな事をさせずに済んだのに、すまない。」


私の顔を包んだ彼は額に、頬に、鼻先に口付けを落としていく。
動くことができない私はそれを茫然としながら受け入れることしかできなかった。


助けられたの?私、、、いつ?



回りきらない頭で考えていると、そんな疑問が浮かんできた。


ねぇ待って、、、私はどんな姿で彼等に助けられたの?

たしか最後の記憶にある自分の光景は、、

トランに押し倒されて、そしてドレスの胸元を切られて、、、


トランが私に執着していた意味を、彼は知ってしまったのではないだろうか。
あの忌まわしい過去も、、、


途端に身体が震えて涙が溢れた。


「はなれて」

震える唇からなんとか絞り出したのはその一言で、なおも私の頬を撫でる温かな手が一層残酷だった。

「いやだ。」

キッパリと意思を含んだ言葉が、少々乱暴に返ってきた。

チュッと、今度はこめかみに口付けをして、彼は私の胸の上に置かれていた手を握り、そこにも口付けをした。

「もう、絶対に離さない。アーシャが嫌って言っても絶対にだ!全部、トランが吐いた。それを理由に離れる事は許さない」

ブラッドの言葉にヒュッと息を吸う。

トランが、、話した。あのことを?

はくはくと、息がくるしい。

ブラッドの手が私の額を撫で涙を拭うと、髪を梳く。

「何を、、聞いたの?」

どこまで、どうして、、、そう詰め寄りたいけど、身体は肩でしっかり固定されていて、言うことを聞いてはくれない。


私の言葉に彼の眉間に皺がよった。
それだけで、一番知られたくない事を本当に彼が知ってしまった事を悟った。


彼は汚された妻をどう思ったのだろう。
幻滅した。それとも同情した?


その時コンコンと扉を叩く音が室内に響いた。

弾かれたようにブラッドがそちらを見る。

「医師が往診に参りました。」

リラの声だった。どうやら彼女が医師を取り次いできたらしい。


「少し待ってもらえるか?すぐ済む」

彼がそうリラに伝えると、リラが承知の言葉とともに、また扉を閉めたのが分かった。


そして、また彼が私の顔を覗き込み、そして額に口付けた。

「これだけは覚えておいてくれ、君は何一つ悪くない。アイツは俺たちの理解を超える範囲で、歪んでいるんだ。そんな男相手に、何も知らない10代の女の子が敵うわけがない。むしろ気付いてやれなかった周囲の、、俺たちのせいだ」


気づいてやれなくてごめん。


そう詫びながら、彼は何度も何度も私の髪を撫でて、医師を呼ぶために部屋を出て行った。

その閉まる扉の音を聞きながら、私は溢れる涙を瞬きをしてなんとか落とした。
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