燕雀安んぞ天馬の志を知らんや。~天才外科医の純愛~


 午前の診察が終わって医局に顔を出すと、そこに工藤がいた。

「あ、もう帰っちゃったか」

 僕が言うと、工藤は、頷いて続ける。

「つばめちゃん、不安に思ってるみたい。『あたしはあたしのままでいられない気がした』って言ってた。きっとなにか思い出そうとしてるんだ。思い出す日も、近いと思う」

 詳しく聞こうとした時、院内コールが鳴った。

「鳴ってるよ?」
「あ……うん、またあとで詳しく」

 そう言って、工藤と別れて、
 それから救急処置に時間がかかってしまって、気付いたら夜になっていた。



 家に帰ってみると、つばめは僕から目をそらした。
 一緒に暮らし始めてからこんなことは始めてで戸惑う。

 もしかして思い出したのか……?
 そんな不安が胸によぎった。

「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
「……どうしたの?」
「ううん」
「いつもなら飛びついてくるのに」
「……え」


 僕はつばめを緊張させないように、何気なく話し出した。

「今日、工藤んとこ行ってきたんでしょ?」
「うん」
「つばめ?」

 やっぱりつばめの様子がヘンだ。
 髪を触ろうと手を伸ばすと、その手からつばめが身体をそらし、

「そういえばね、旅行先見つけたの! よさそうなとこ。お部屋に露天風呂がついててね! ちょっと高いけど、いいかな?」

という。

「……もちろんいいけど」
「よかった」

とつばめは見たことのない作り笑いをした。




 僕の前からつばめがいなくなりそうな気がして、
 思わずつばめの腕を掴んでしまう。

「つばめ、ちょっと」
「なっ……なに……!」
「どうしたの? 泣いてる……」
「え……」

 つばめはぽろぽろと涙を流していて、
 そして小さく震えていた。

「それに、震えてる?」
「……なんでもない」
「なんでもなくないよね」

―――どうしたらいい?
どうしたら……。

< 286 / 350 >

この作品をシェア

pagetop