身代わり政略結婚~次期頭取は激しい独占欲を滲ませる~
「時雨さん。努力ですよ、努力。私、毎月まつエク行ったり、毎日お風呂でリンパマッサージしてるんです。すっぴんなんて見せられませんよ。今では家族にだって、できれば見せたくないくらいです」
「ええ! 家族も?」

 目を丸くして聞き返すと、稲垣さんは力強く頷いた。

「そうですよ。ちなみに彼氏には絶対見られないように隠す!」
「え! 旅行とかはどうするの……?」
「お風呂上りはナチュラルメイク。相手が寝静まったあとにオフして、朝は自分が先に起きてメイクします。死守です」

 私は思わず声を上げた。

「えー! つ、疲れない? 将来結婚する人なら大丈夫なんじゃないの?」

 旅行なら何泊かの話だから可能でも、毎日一緒に過ごすとなれば相当頑張らないと大変な話。

 驚愕する私の前で、彼女は腕を組んで唸る。

「うーん。将来はわかりませんけど、今はこのスタイル変える気はないんですよね。まあ彼氏の場合は、見られたくないって気持ちよりは、いつでも可愛い私を見てほしいっていうか」

 稲垣さんの真剣な思いを聞き、目から鱗が落ちる。

「なるほど……。稲垣さんの彼は愛されてて幸せ者だね」
「やだ! 時雨さんったら。照れるじゃないですか……あっ。私時間がないんだった。すみません。先に仕事始めます」

 私は小走りで去っていく稲垣さんを見送り、口元が自然と緩む。

 可愛いなあ。あんなふうに思って陰で頑張ってるなんて、男の人はいじらしいだろうな。

 自分も仕事を始めようかとマウスに手を置いたときに、はたと気づく。

 稲垣さんに比べて私と来たら、成さんともう一週間も過ごしておいて、すっぴんだとかまるで気にしなかったな。

 目まぐるしい展開でそこまで気にかける余裕がなかったとはいえ……。普通、ちょっとは恥じらうよね。
 きっとそういうところが、私は友恵ちゃんとは正反対なんだなあ。
 よく親戚が集まると比べられたもの。

 必ずしもおしとやかでいなきゃいけない、とは思ってはいないけれど、誰かと比較されたら自分が劣っている気がして正直気分のいいものではなかったから。

 そのときのことを一瞬思い出して、心の中がもやっとする。

 まあ、そもそも成さんと一緒に暮らしている件は、期間限定の恋人であって、本物の恋人同士とは言えないと思う。

 だから、素顔を見られたって平気。
 むしろ彼が納得したうえで円満に別れる方向へ持っていくなら、恥じらうよりも素を晒していくほうが効果てき面かも。

 自問自答して解決すると、私は今度こそ目の前の仕事に頭を切り替えた。
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