若女将の見初められ婚
「ここからが、志乃への提案や。何度も言うけど、決して無理強いやないから聞いてくれ」
父は再び無表情になり、姿勢を伸ばして私の方に向き直った。
「仁君が、一緒に仕事をしていくにあたって、志乃を嫁にくれと言ってる。そしたら『たちばな』と『いわくら』は親族経営みたいな形になるからと」
感動から一転、私は驚きでひっくり返りそうになった。
「よ、嫁?私が、しの君のお嫁さんになるっていうこと?」
「そういうことやな」
父は私の顔を見ながら、少し表情を緩めた。
「でも、お母さんとも話し合って、お前が嫌やったら、この話は断わろうと決めた。
元々畳む予定の店や。
たった一人の大事な娘を犠牲にしてまで続けるつもりはない」
父の穏やかな目に、私が映る。
「こんな風に話したら、お前が断りにくいかとは思った。でも、考えてみたら、仁君との縁談はええ話や。
『いわくら』に嫁いだら、若女将としての仕事が待ってるから苦労もあるやろう。
でも、仁君の経営者としての腕は見事なもんや。生活に困ることはない」
少し間を置いて、今度は聞きにくそうに、父が問いかける。
「あー、その、志乃は今、ええ人がおるんか?」
「い、いてへん。そんな人」
私の恋愛事情について父と話をする日が来るとは!
お互い慣れないシチュエーションに居たたまれない空気が漂う。
でも、一番聞きにくいことを聞き終えてホッとしたのだろう。コホンと咳をすると、気を取り直したように父が訊ねた。
「仁君が一度志乃に会いたいと言うてる。どうや?店のことはともかく、仁君に会ってみるか?」
「志乃。自分のことだけ考えて。お店のことは何も考えんでいい。仁君に会ってみたいかどうかだけ考えてみて」
それまではじっと話を聞いていた母が、間を取り持つように言った。
しの君。最後に会ったのは、たしか私が小学生の時やった。
その時は高校生で、すごくカッコいいお兄ちゃんやったなぁ。
しの君と結婚?いや、しの君に限らず、結婚なんて考えたこともなかった。というか、私 結婚できるんやろかと漠然とした不安があるくらいやったのに…
さっきまでは、転職してお店を支えることしか考えてなかった。
でも、今は、思いもよらぬ方法で、確実に力になれる道が見つかったのだ。
「私、会ってみたい。しの君と」
迷う余地はない。
父の目を真っ直ぐに見て答えた。
父も私の目をじっと見返し、小さく息をついた。
「ほんまにええんか?店のことは考えずに言うてるか?」
「うん。私、今のままやったら結婚できひんかもと思ってた。あまりにも縁がないし、自分で探すなんて絶対むりそうやし。
そんな私にこんないい縁談、夢のようやわ。ええ話やって、お父さんも言ったよね」
笑顔で答える。
「そうか。そうやな」
父はそっと下を向いた。
「でも、会ってみて無理そうやったら、断わらなあかんぞ。そこだけは約束してほしい」
わかったなと言うように、念を押す。
「わかった。約束する。
そしたら、この話は終わり!
私、お腹すいて倒れそうやし」
笑いながらお腹を擦ってみせる。
部屋の空気が和らいだ。みんな力が入っていたのだろう。
「そうやったな。急いでご飯の支度するわ。鍋にしよか。早くできる」
母が慌てて台所に向かった。
「私も手伝う。じゃあ、お父さん、話進めといてね」
私も台所に向かった。