もふもふ後宮幼女は冷徹帝の溺愛から逃げられない ~転生公主の崖っぷち救済絵巻~
「それで、姫さん収穫はあったのか?」
「んー。あったかと聞かれるとないし、ないかと聞かれるとあったのよ」
「どっちだよ」
 
 十然(じゅうぜん)に抱き上げられながら、愛紗(あいしゃ)は映貴妃(えいきひ)からもらった月餅(げっぺい)を頬張る。
 
 しゃべるよりも食べるほうに忙しく、なかなか返事はできない。
 
「あやしいところはあったの」
「どんな?」
「貴妃なのに、一人で支度をするところ」
「一人で、ね。田舎暮らしの癖が抜けないんじゃないか? 皇帝が連れてきた妃(きさき)なんだろう?」
「そうなんだけど……。あたしが来ても、時間を気にせず頑なに一人で支度をしてるみたいだったから、見られたくないものがあるのかなって」
 
 愛紗は風を受けながら、つい先ほどのことを思い出す。あのとき、怖がりなどしないで紗(うすぎぬ)の向こう側を覗けばよかったのだ。
 
 愛紗を腕に抱える十然は首を傾げる。
 
「つまり、姫さんは映貴妃が実は鬼だと思ってるってことか?」
「あい」
「鬼ねぇ~……」
「ねえ、十然。地界の鬼のことどれくらい知ってる?」
「姫さんとそう変わらないな。俺は仙界のこともたいして知らん」
「えー。数万年生きたおじいちゃんなのに?」
 
 愛紗は「使えない」とばかりに唇をとがらせた。
 
「地界の鬼は殺戮を好む。昔は人間界に現れて遊び感覚で人を殺めていたらしい。だよな?」
「あい。でも、たくさん殺しすぎて、天帝が怒っちゃって鬼の行動に制限をかけた……らしいんだよね」
「その制限っていうのは?」
「……さあ?」
 
 仙界に住んでいるなら、気にしなくてもいい話だ。天宮(てんきゅう)で人間界に干渉する部署に所属しているならば大いに大事な事柄だが、愛紗はただの猫族(まおぞく)の姫。しかも、勝手気ままな末娘だ。
 
 生まれてから八千年、地界の鬼というおとぎ話に深く関心は持たなかった。
 
「大仙(たいせん)試験は実技のみじゃなくて、筆記も追加したほうがいいと天帝には奏上(そうじょう)文を送っとくわ。それで、姫さんは映貴妃から何か感じなかったのか? 直接会ったんだろ?」
「今のあたしは仙術を与えられた人間と変わらないから、仙(せん)も鬼(おに)も人も区別はつけられないのよ」
「あー、そっか。人間は不便だなぁ。」
 
 鬼は狐のように化けるのが得意だったりするだろうか。もし、得意なら人間の身体に入る愛紗には判断がつかないかもしれない。
 
 加えて、鬼の判断を十然に頼むことは難しい。地界の鬼が人間界での行動を制限されているように、仙界の者は人間界で使える仙術を制限されている。自身に及ぼす仙術のみなのだ。変化はできても誰かを攻撃することはできない。
 
 できないというのは、少々語弊がある。相手に仙術を使うことはできるが、使えばたちまち、天の怒り――雷(いかずち)を受けることになるのだ。
 
 映貴妃の前に十然を連れだし、人か人ではないかを見てもらうことはたやすいが、それは相手にも十然の正体を見せることと同じ。十然は逃げるしかない。そうなれば、十然の身が危なかった。愛紗は死んでも仙界に本当の身体があるが、十然は鬼の攻撃を受け、死ぬことだってあり得る。
 
 ――十然を怪しいやつに近づけさせないほうがよさそうね。
 
「それで、姫さん。夜伽(よとぎ)では何をする気なんだ?」
「何も用意しないわけにはいかないよね」
「そりゃあ、愛する映貴妃との時間を一晩分奪うんだ。何もなければ、追い返されるかもな」
「そうだなぁ」
 
 愛紗は十然の腕の中で考えを巡らせる。黎明のもとに朝までいるにはどんな言い訳を用意し、どんなことで気を引けばいいのか。しかも、幼子が堂々とできるものだ。
 
 なかなか良い案は思いつかず、愛紗は大きな口で月餅を頬張った。
 
 
 
 
 太陽はすっかりなりを潜め、大きな満月が代わりとばかりに顔を出した。夕餉(ゆうげ)だと出された食事はどれも豪華だったが、愛紗は食べる量を減らす。なにも太ってしまうなどという乙女のような恥じらいからではない。
 
 この身体、食べ過ぎればすぐに睡眠の態勢に入ってしまうのだ。今日、眠ってしまえば愛紗の仙人としての人生は半分終わったと言っても過言ではない。大好きな饅頭を半分で我慢し、まぶたが落ちそうになるたびに小さな手で頬を叩いた。
 
 黎明(れいめい)の寝所を管理する太監(たいかん)が愛紗を呼びに来たのは、頬を十二度叩いたころだ。
 
 太監はにこにこと笑顔を絶やさない若い男だった。
 
「尚心(しょうしん)と申します」
「あい。愛紗です」
 
 尚心と歩く寝所までの道のりは、実に幻想的だった。雛典宮の門で出た瞬間、華やかな提灯(ちょうちん)の明かりが愛紗を出迎え、寝所まで導く。
 
「すごい!」
「これが習わしでございますから」
「これ、毎日やるの?」
「はい。その日夜伽を指名された妃の宮から陛下の寝所まで毎日」
「毎日……」
 
 愛紗は立ち止まり、ゴクリと喉を鳴らす。雛典宮から寝所まで何個の提灯が使われているのだろうか。ただ、夜伽をする妃が歩くだけの道のりだというのに。
 
「いつもは映貴妃(えいきひ)の蓮華宮(れんかきゅう)からこれをつけるの?」
「ええ、貴妃以外に妃はいらっしゃらないものですから。この二年、貴妃以外を案内するのは初めてでございます。雛典宮(すうてんきゅう)のほうが少し遠いものですから、提灯を用意するのも大変でございました」
「なら、やめちゃえばいいのにね」
「規則でございますから」
 
 尚心はそれだけ言って、にこりと笑うと、まっすぐ歩き出した。
 
 愛紗は尚心の後ろを小走りでついて行く。十然のように抱き上げろと言うわけにはいかない。彼は子どもを相手にしたことなどないのだろう。歩く速度は幼い愛紗を配慮しているとは思えなかった。
 
 愛紗の暮す雛典宮から黎明の寝所までは遠い。広い庭を通り抜けなければならなかった。広い庭にも提灯が愛紗を迎えたが、必死について行くのがやっとで、その美しさなど心に響かない。
 
 黎明の寝所はとても広く、紗の仕切りがひらひらと舞い、この先は大人の世界なのだと主張しているかのようであった。天井の装飾は暗がりのせいでよく見えない。あやしい人の影などは見当たらなかった。
 
 ――今日、暗殺者はこないかも。
 
 鬼の正体が映貴妃で暗殺者だとするならば、夜伽の役割を奪った時点で運命は変わったはずだ。それを確認するためには今、運命録(うんめいろく)の欠片を見なければならないのだができるわけもない。運命録は愛紗の部屋にあるのだから。
 
 あとは、運を天に任せるしかない。
 
 寝所の奥には紗で覆われた寝台が。黎明はそのすぐ側の椅子に座り、机に向かっていた。
 
 机の周りには所狭しと蝋燭(ろうそく)が灯され、彼の手元を照らす。愛紗はそっと近寄り手元を覗き見る。何をしているのかと思えば、こんな時間でも書をしたためているのだ。
 
 今朝会った姿とは違う。頭の上の冕冠(べんかん)は外され、煌びやかな衣も脱いでいる。その姿は赤子のときに愛紗を一度だけ抱いたときと似ているようだと思った。
 
「お父さま」
「……愛紗か」
「あい。夜伽(よとぎ)しにきました。まだお仕事?」
「ああ。だが、今日は愛紗が来たからやめにしよう」
 
 大きな手が愛紗の頭を撫でる。壊れ物でも扱うかのように慎重な手に愛紗は目を閉じて応じた。そのあいだに黎明は愛紗を抱き上げ、寝台へと連れて行く。一人で眠るには大きすぎる寝台が現れた。
 
「それで、愛紗よ。今日はなぜこのようなことを願った?」
 
 黎明が冷徹帝(れいてつてい)と称される理由は聞いたことがない。しかし、その一片を垣間見たような気分になった。真意を探る瞳は拒むことを許さない。
 
 愛紗の心臓は大きく跳ね上がったが、ここで負けるわけにはいかなかった。愛紗もまた、人生をかけてここにいるのだ。
 
 控え目に、しかし強く袖を握る。
 
「お父さまとお話したかっただけ」
「会いたくないと言ったのはそなたではないか」
 
 そうだった。愛紗は心の中で頭を抱える。二年前、黎明が皇位を得て数ヶ月が経ったころのことだ。世話役から「陛下がお会いしてくれる」と伝言があった。そのころの愛紗は十然の忠告を気にして、『皇帝』である黎明を拒んでいた節がある。「会いたくない」と布団に籠もり、世話役を困らせたのは記憶に新しい。
 
 むりやり引き合わされ、黎明が口を開くころには逃げ出したことは一生わすれないだろう。
 
「そ……それは」
「ん?」
 
 わずかに笑っているものの、それは真の笑顔ではない。普通の幼子ではわからなかったかもしれないが、八千歳生きてきた仙の愛紗ではそのような子どもだましの笑顔はきかないのだ。
 
 愛紗は勢いよく黎明の腕の中に飛び込んだ。目は口ほどにものを言う。ならば、目は隠したほうが得策だ。それに、愛紗は嘘をつくのがことのほか下手だった。自覚もしている。
 
 約八千歳年下とはいえ、相手は百戦錬磨のような顔をしている。勝てるとは思えない。
 
 顔を見られないように強く黎明の着る衣を握る。大人の力で引き剥がされてはかなわない。
 
「あのときは、恥ずかしくて、なにお話していいかわからなかったの……」
< 11 / 16 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop