もふもふ後宮幼女は冷徹帝の溺愛から逃げられない ~転生公主の崖っぷち救済絵巻~
 静寂が寝所を包む。寝所は広いが寝台の広さはそれほどない。紗(うすぎぬ)で覆われれば、そこは小さな部屋と同じである。
 
 黎明(れいめい)からの返事はなく、不安で顔をあげた。いつの間にか部屋を灯す蝋燭(ろうそく)の数は減らされ、黎明の輪郭と表情をなぞるくらいにしかわからない。
 
 愛紗(あいしゃ)がただの乙女であったならば、間違いなく恋に落ちていた。しかし、そこは腐っても仙(せん)。彼は仙界でも稀(まれ)な美男子ではあるが、今は試練の最中(さなか)だ。
 
 目の前にいる男よりも部屋の中、そこかしこに意識を向ける。愛だの恋だの美男子だのと言っていれば、後ろから刺されてしまうかもしれないのだ。
 
 黎明が愛紗の言葉をどうとったかはわからなかった。しかし、大きな手がただ頭を撫でる。口から出た言い訳に納得するほど鈍感とは思えなかったが、下手を言えば墓穴を掘ることも経験上わかっていた。
 
「親が恋しくなったか?」
 
 黎明の言葉に頭を横に振る。腹を痛めて生んでくれた親だ。しかし、赤子のころの記憶もある愛紗ですら、顔はおぼろげなど。生まれてすぐに消えてしまった親をどう恋しがればいいのか、愛紗はわからなかった。
 
「あたしにはお父さまだけだもの」
「愛紗……」
 
 黎明は目を細めた。冷徹帝(れいてつてい)と言われているだけあって、表情からはわからないが、少なからず幼子に無体なまねはしないようだ。
 
 うまくやれば幼く、親を早々に失った愛紗に絆(ほだ)されてくれるかもしれないと思った。『皇帝』に近づけば、愛紗の命は危うくなるのだが、黎明に近づかないで守る方法が思いつかない。隠密の如く天井の裏に張り付くにも、五歳の身体では難しいのだ。
 
 愛紗の身体は特別ではない。仙術の使用を許可された以外は人間と変わらない身体だ。
 
 訓練をしていない幼子が隠密のまねごとなどできるわけがなく、愛紗の取れる手段と言えば、娘という立ち位置を利用することのみ。
 
 娘の前で口角すらあげない黎明の前で、愛紗は満面の笑みを見せる。
 
「でも、お父はお昼だと忙しいでしょ? だから、夜伽(よとぎ)しに来ました」
 
 愛紗はよくかっていないような顔で笑う。過去の転生で後宮宮女として働いていた経験もある愛紗が夜伽の意味をわかっていないわけがないのだが。
 
「夜伽は子どものすることではない。今朝は双修(そうしゅう)などと言っていたが、意味はわかっているのか?」
「あい。男と女が一緒に修行をするのでしょ? お父さまは男で、あたしは女なのであってます」
「……して、何を修行する?」
 
 黎明は頭でも痛いのか、こめかみを押さえた。機嫌が悪いのか悪くないのかわからない表情は愛紗に何も教えてはくれない。
 
 ――もう少し笑ったり怒ったりしてくれとやりやすいのに。
 
 愛紗はなにも気にしていない風を装い、懐から小さなお手玉を取り出した。三つ、四つと二人のあいだに増やしていく。
 
 己の口から夜伽と言った手前、何かしら用意せねば一刻(いっこく)もしないうちに追い出される可能性を拭いきれない。運命録(うんめいろく)の予告は「夜伽の際、寝所にて暗殺」だ。太監(たいかん)の尚心(しょうしん)に聞いたところ、映貴妃は日が昇る手前までしとねを共にしているという。
 
 ならば、その間は危険が及ぶということだ。
 
 五つのお手玉を取り出した愛紗は、笑顔を崩さずに黎明を見上げた。
 
「お手玉の修行をしましょ」
 
 色とりどりの生地をつなぎ合わせできた小さな球体の包み。中には豆が入っている。これは、愛紗の世話役が作ってくれたものだ。一つの大きさは愛紗の小さな手の平に乗る程度なので大きくはない。
 
 愛紗の身体では二つを回すことしかできなかった。しかし、黎明は大人の男だ。三つなどではすぐに回してしまうと思った。だが、五つならば時間もかかろう。
 
 黎明の大きな手にお手玉を乗せていく。
 
「これは?」
「作ってもらいました。中に豆が入っているの。こうやってぽいっと上げているあいだに、持ち替えて……あたっ」
 
 説明をしながらお手玉を回すのは難しい。二つ目のお手玉を持ち替えたところで、愛紗の頭に一つ目が直撃した。
 
 ペチッと小さな音を立てて、愛紗の頭の上から布団の上に落ちる。
 
 愛紗は二つ目のお手玉を放り出し頭を抑えた。たいした痛みではなかったが、衝撃で少しばかり涙がにじむ。たったこれだけの見本すら見せられないことに羞恥を覚える。
 
 しかし、すぐ側で押し殺すような小さな笑い声が聞こえ、目を見開く。目が合った瞬間、黎明は上がっていた口角を引き締める。彼は取り繕うように咳払いをした。
 
「お父さま、今笑った?」
「いや」
「嘘はだめよ」
「……ああ、あまりに愛らしくて笑った」
 
 素直に頷いた黎明に冷徹帝の面影はない。噂のように冷酷で冷ややかな男には見えなかった。
 
「お父さまならできるでしょ?」
 
 失敗したら笑ってやろう。そんな意地悪な気持ちで、布団の上に落ちた二つを黎明の手のお手玉の上に重ねる。黎明は小さな五つのお手玉をまじまじと見た。
 
 一つ目をひょいと上にやる。続けて二つ三つと上に上げていく。愛紗が瞬きを一つしているあいだにお手玉は綺麗な円を描き、くるくると回る。五つのお手玉がぐるぐると回る様(さま)を愛紗は呆然と見ることしかできない。
 
 感嘆の言葉すら出さず、大きく口を開けて軽やかに回り続けるお手玉を見上げる。
 
 愛紗のときはあんなに重そうに落ちてきたお手玉が、今では羽のように軽く見える。どんな術を使えばそんな風になるのか。
 
「愛紗」
 
 初めてとは思えないほど器用にくるくると回しながら、黎明は愛紗の名を呼んだ。しかし、それどころではない。二度、三度と呼ばれても愛紗はお手玉に釘付けだ。
 
「愛紗、これはいつまで続ければよい?」
「いつ?」
 
 黎明の言葉に首を傾げる。愛紗が回すとき、大抵三回か四回で、手から離れ遠くへと逃げていってしまう。手に戻ってこなければしまいだ。
 
「お手玉が逃げたら終わりです」
「では、今夜は眠れないな」
 
 黎明は真顔で言った。つまり、朝まで回し続けることが可能だと言うのだ。一度も回すことができなかった愛紗への当てつけのようではないか。
 
 終わらないというのであれば、終わらせてあげよう。頬を膨らませ、お手玉の一つに手を伸ばす。しかし、狙った一つを手にすることはできない。反撃とばかりにお手玉は一つ、二つと愛紗の頭にめがけて落ちてきた。
 
「あたっ」
 
 驚いた黎明の手が止まる。今まで重さを感じさせていなかったというのに、頭に乗った瞬間に重く感じた。
 
 頭を直撃したお手玉は滑り落ち、布団を彩る。最後の二つからの攻撃は黎明の助けで免れた。
 
「一度ならず二度も愛紗をいじめたこのお手玉は、炒り豆の刑としよう」
 
 真面目な顔で黎明が言う。お手玉を一つ手に取る。哀れなり。お手玉すら皇帝には逆らえないのだ。
 
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