もふもふ後宮幼女は冷徹帝の溺愛から逃げられない ~転生公主の崖っぷち救済絵巻~
 一晩で愛紗(あいしゃ)と黎明(れいめい)は打ち解けたように思う。明日、「炒り豆の刑」が決まっているお手玉で修行を積むこと一刻(いっこく)。愛紗はたどたどしいながらも、お手玉を三つ回せるようになっていた。

黎明は人に教えるのがうまいのか、もともと愛紗に才があったのかはわからない。

 一刻も遊んだ幼子の身体はとうに悲鳴を上げていた。大きなあくびが出たのだ。

「そろそろ寝よう」
「いや、まだ遊ぶ」
「だめだ。身体に悪い」

 黎明が愛紗の頭を撫でる。布団を広げ、愛紗を隣へと促す。

「一緒に寝てもいいの?」
「……夜伽(よとぎ)、なのだろう?」
「あい」

 遊びが追われば部屋へ戻れと、無下に追い返されるかと思ったのだ。黎明は冷徹帝(れいてつてい)とは思えないほど優しい笑みを見せた。

 愛紗は黎明の隣に滑り込む。眠るときに人のぬくもりを感じるのはこの身体になって初めてのことだった。

「あったかい」
「そうか」
「あい。こんなにお布団があったかいのはじめてです」

 寒い日は、世話係が温石(おんじゃく)を足下に入れて布団を温めてくれた。しかし、暖かさはその比ではない。湯につかるのとはまた別の心地よさだ。

 思わず息を吐き出す。

「今まで寂しい思いをさせたな」

 黎明が愛紗の頭を撫でる。その手があまりにも優しくて、ついうとうととしてしまう。使命を忘れたわけではないのだが、眠気にはあらがえない。

 いつもの癖で膝を抱え丸くなる。小さくなると安心するのは、仙界で生きているときからだ。人の形をなしても猫のようだと笑われるが、治らない。治そうとも思っていないのだが。

 黎明は愛紗が眠りにつくまで撫でる手を止めなかった。




 愛紗が再び目をさましたのは、平旦(へいたん)――寅(とら)の刻(こく)のころ。そろそろ夜が明けるという時間だ。

 隠せないほどの強い殺気を受けて、飛び起きた。

 隣には黎明がすやすやと眠る。蝋燭(ろうそく)の灯火(ともしび)は全て消え、真っ暗だ。

「だれ……?」

 囁くように聞いたが、返事はない。つまり、返事をする気のない人物――暗殺者だ。太監(たいかん)や侍衛(じえい)であれば、正体を隠す必要はない。

 相手は一人だろうか。まっすぐに向かってくる殺気は、愛紗を素通りして、黎明を狙っている。

 一か八か。愛紗は身体の中に眠る霊力(れいりょく)を練る。仙術を使うのはいつぶりだろうか。最近は歴劫修行(りゃくごうしゅぎょう)のために転生続きだった。

 殺意が鋭利な刃物となったとき、愛紗は練った霊力を風に替える。向けられた刃から黎明を守るが如く風の盾を作った。

 盾に刃をねじ込まれる感覚。結っていない愛紗の髪が舞い、黎明の前髪も乱れる。身体中にある霊力をかき集め、黎明に向けられた刃をはじき返した。

暗がりで刃を向けた者はわからない。しかし、盾によって跳ね返された殺気は、闇夜に霧散した。

 ゆっくりと息をつく。朝日が寝所をわずかに照らしたとき、静寂が訪れた。

 同時に、愛紗の身体は一瞬にして猫へと転じる。ポンッとでも音を立てそうなくらい瞬く間だった。

 真っ黒な身体に白い靴を履いたように足先だけ白い。

「みゃあ」

――猫になると言葉も話せなくなるのか。

 眠る黎明が大きく見える。まだ子猫といっても良い体だ。黎明に見つかる前にさっさと逃げようとしたとき、彼の腕が大きく動いた。愛紗を胸に抱くように引き寄せる。

 小さな身体で逃れるわけもなく、猫は捕えられた。

 黎明のぬくもり。早く逃げなければと思いながら、霊力を使い、疲れた身体では眠気にはあらがえない。

 この身体がもとに戻るのはどうせ三刻後。眠ってしまっても問題ないだろう。

 愛紗は目をつむった。




 黎明が目を覚ましたとき、愛らしい幼子(おさなご)はいなかった。代わりとばかりに、黒猫が隣で身体を丸めて眠る。

 意味がわからないと、黎明は首を傾げ、寝所を見渡した。紗(うすぎぬ)がわずかに乱れている。愛紗が出るために暴れたのか。小さな手足をばたつかせた様子を頭に描き、小さく笑った。

 寝台から出て部屋を探してみたが、愛紗の姿は見つからない。早々と部屋へ戻ったのだろう。

 寝台ですやすやと眠る呑気な黒猫は、白い靴をはいたように足だけ白い。そして、愛紗のしていた髪飾りを首に巻いていた。

 愛紗が自身の代わりにと黒猫を置いて出て行ったのは明白だ。

 毛並みの良い猫は、後宮の残飯をあさる野良猫とは違う。愛紗が猫を飼っているという話は聞かないが、こっそり飼っている可能性はあり得る。娘の代わりに撫でてやると、猫は寝言のようにむにゃむにゃと声を上げ、「にゃあ」と小さく鳴いた。

 パチリと目を見開く。黒よりも淡い薄茶の瞳。大きな目で黎明を見上げる姿は愛紗によく似ている。何度も目を瞬かせると、逃げるように布団の中に潜り込んだ。

「なに、とって喰ったりはしない。出ておいで」

 想像以上に優しい声が出た。自身の声に驚き言葉を失っていると、猫はそろりそろりと顔を出す。人間の言葉がわかるのか、賢い子猫だ。

「名はなんという?」
「みゃあ」
「……人の言葉は話せぬか。今度、愛紗に聞くとしよう」

 優しく撫でると、猫は嬉しそうに目を細めた。その姿が愛らしくつい、触ってしまう。手触りもいい。何度も何度も頭を撫で、首をくすぐり、頭から背にかけて艶やかな手触りを堪能する。

 猫ははじめこそ抵抗するような素振りをみせていたのか、途中から諦めたのか、うっとりとした表情で腹を見せた。

 太監から声がかかるまでのあいだ、黎明は猫とのひとときを楽しむのだった。




 黎明が朝儀(ちょうぎ)に向かってすぐ、愛紗(あいしゃ)は寝所を飛び出した。いまだ身体は子猫のため、動きは軽やかだ。

 愛紗は颯爽と走ってはいたが、内心は気が気じゃなかった。

――なんなの、なんなの。あの撫で方はやばい!

 今が人間ではなくて良かったほどだ。人間だったならば、後宮のど真ん中で叫び声を上げていただろう。代わりに猫が声を上げるのだが、盛りのついた猫よりも小さな声が響いただけである。

 黎明の撫でる手を思い出し、赤面する。黒が赤くなることはないのだが、頬に熱があがってくるのがわかった。あれは、危ない。とても気持ちがよく、墜落していしまった。

 長く綺麗な指が器用に身体中をなで回したのだ。人間であったならば犯罪的だが、相手は猫。文句も言えない。しまいには腹まで許してしまった。

 ――あれは、不可抗力よ!

 愛紗は風を切りながら言い聞かせる。考えごとをしていたせいか、幼子のときよりも早く自身の宮――雛典宮(すうてんきゅう)へと辿り着く。

「お、姫さん。かわいい黒猫ちゃんに変化しちゃって。その分だと無事だったようだな」

 十然(じゅうぜん)はいつものように笑顔で愛紗を抱き上げる。

「みゃ」
「猫になると話もできないのか。不便だな。それで、この後はどうする?」
「みゃあ」
「何言っているか、わかんないって」

 早く部屋に入りたいと言っているのだが、愛紗の気持ちは全く伝わらない。しびれを切らし、彼の腕からすり抜ける。そして、部屋にしまってある、木箱をカリカリとひっかき、示した。

「はいはい。これを開けろって? ああ、運命録を確認するわけね。暗殺は免れたわけだし。ゆっくりすればいいのに、相変わらずせっかちだな~」

 日が昇った。つまり、運命録は今日の分に変化しているはずだ。十然の開けた木箱を覗きみる。十然が指でなぞりながら読み上げた。

「んーと、『夜伽(よとぎ)の際、寝所にて暗殺』」
「みゃあ!」
「ああ、今言いたいことはわかった。変わってないな」

 そう、昨日と変わっていないのだ。これは、運命録の一部。その日の未来が書かれるはずだ。何が起っているのだろうか。

「みゃあ?」
「そうだな~。俺の予想なんだけど、今日暗殺者は捕えるか殺したか?」
「みゃあ~」
「殺してないなら、今夜も諦めず狙ってくるんじゃね?」
「みゃ、みゃあ~」

 愛紗は声を上げる。つまり、暗殺者を殺すか捕まえるか、諦めさせるかするまで続くということだからだ。

「姫さん、頑張れ」
「みゃあ~~」

 朝から雛典宮には子猫の鳴き声が響く。ひどく平和で不幸な一日の始まりである。


第一話 おわり
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