十六夜月と美しい青色
 食堂に入ると、窓際の空いている席に座った。

 「何にされます?」
 奥さんがオーダーを取りに来ると、急な宿泊だからコース料理は難しいが、まかない料理のようなものなら出来る事を伝えられた。結花は、少し考えて、出来る物でいいが、できれば野菜たっぷりのパスタが欲しいとお願いした。ニコッと笑顔で返事をした奥さんは、食堂の奥にこの夏にできたこぢんまりとしたバーカウンターで、お酒が飲めるようになった事を教えてくれると、そのまま厨房へと入って行った。

 お客が少ないからと、予約の電話のときにも言ってたとおり、食堂には殆ど人はいなかった。ただ食堂の奥には、椅子が5客並ぶ程度のバーカウンターと、小さな丸テーブルの席が1セットだけ置かれていた。その丸テーブルの上に吊るされているペンダントライトの柔らかい光が、そこで肩を寄せ合う、見知らぬ二人の甘い時間を引き立てるのに一役買っているように見えた。

 こんな時に、甘い雰囲気のカップルの近くには行きたくもないが、カウンターの向こうにいるバーテンダーの和人と視線が合うと、さりげない微笑に誘われるように、カウンターの席に移動した。

 「今宵は、何にいたしましょうか?」

 和人の甘く低い声は、結花にとって、とても心地良く感じるものだった。オーダーを取るだけのその言葉は、魔法でもかけてあるのかと思うほど、結花の傷ついた心のドアを容易く開け放した。 

 「今日ね、彼から浮気して子供ができたからって、婚約破棄されたの。もう、3年もお付き合いしてて、来春には結婚式だって準備も始めていたのよ…。笑えるわよね。私が一人で、着物がどうとかドレスがどうとかって、一生懸命に考えて…。
 こんな日に合うカクテルなんて、あるのかしら。」 
 
 わずかに肩を震わせる結花の声には、諦めと怒りと自分を責める思いと遣る瀬なさが滲み出ていた。そして、その姿に和人の心臓が大きく脈打ち、思わぬ感情に和人自身も驚いた。
 
 「…では、私のオススメのカクテルで。」

 そう言うと、手早くカクテルを作り始めた。そしてタイミングを見計らったように、厨房から奥さんが出来たての熱々のパスタを持ってきてくれた。

 「どうぞ。しっかり食べて元気を出して」
 
 結花は、奥さんの気遣いに笑顔で返事をして、目の前に置かれたパスタを口にした。 

 「美味しい…。」

 思わず、声に出していた。その様子を見ていた奥さんも、少し安心したように厨房へ戻っていった。

 
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