十六夜月と美しい青色
 バーテンダーが、さり気なく結花の目の前に立つと、グラスを持つ白く長い指先を結花の視線が捉えた。その指先に、無意識に凌駕を重ねてしまう。また、ひとしずくの涙が結花の頬を伝った。
 
 静かにコースターとともに、カクテルが置かれた。
  
 「ピニャコラーダです。このカクテルには、少しずつ、失恋した思いを昇華させる意味があるそうですよ。
 今はまだ、忘れるなんて無理でしょうが、淡い思い出になるようなお手伝いができたらと思いまして。それに、甘い口当たりですし普段余りお酒を飲まない方でも、お飲みいただきやすいはずです。」
 
 そう言うと、目の前にあった白く長い指先が、結花の頬に触れ、溢れ落ちる雫を親指で優しく拭った。突然の和人の予想もしない仕草に驚くより、受入れ難い現実に押し潰されそうになる事から逃げる方が、今の結花には必要なことだった。
 
 「私のことは、結花と呼んででもらえますか。」

 目の前のバーテンダーと視線が合うと、自分のことを名前で呼んでほしいと頼んだ。いつもなら、こんな事は言わないのに、誰かに胸の内を明かしたかったからか。
 
 「私は…。」

 「言わないでください。知らない人だから話せる事ってありますよね。すみません、我儘だって分かっているんですが…。」

 和人の言葉をやんわりと止めると、あふれる涙をそのままに切なそうに微笑んで顔を上げた。構いませんよと応え、和人も敢えて名乗るのをやめた。

 目の前に置かれたカクテルを手に取ると、グラスを少し揺らしながら口をつけた。
 
 「…これなら、飲めそう。余りお酒は得意じゃなくて。こんな時に、訳が解らなくなるまで飲めたら、こんな思い全て流れて消えてくれるのかな…。」
 
 俯いたまま、結花のグラスを持つ手に力がこもる。その間も、結花の瞳から一粒の涙が次々と落ちてきた。
 
 「さあ、それはどうでしょうね…。お酒が、何もかも忘れさせてくれるわけではないですし。現実から逃げる手助けぐらいにしかなりませんよ。それよりも、辛い現実を受け止めようと藻掻き苦しんでいる結花さんの方が、お酒に逃げる人より私には何倍も芯の強い美しい女性に見えますよ。」

 和人の柔らかい手のひらは、結花の頬を包んだまま、こぼれ落ちる雫を繰り返し拭っていた。
 
 「お酒が飲めれば、私だってそうしたと思うわ。」

 自虐的な笑みが、結花の苦しい胸の内から助けを求めているようだった。

 「本当にそうなら、既にお酒に逃げていますよ。飲める飲めないなんて、関係ないですから。」

 僅かな会話を交わしたあと、丸テーブルの客からバーテンダーを呼ぶ仕草があり、和人はそっとその場を離れた。
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