錬金術師のお姫様
 気がつけば。
 サクラの私室(部屋)の中央にある椅子に座ったロキが足を組んでベッド(こちら)を見ていた。

 金の縁取りの黒いローブ、黒い手袋、黒いブーツ。
 サウザグルスを守る要──魔術師長である彼は、夜の10時(この時間)でも一分の隙も無い。


「サクラ、貴女は何をしているんですか」


 組んだ膝の上で頬杖をついた彼に問われて我に返る。

 後はもう寝るだけだからと、下着(ヴィスチェ)を着けず。
 足の間をなぞる紫の触手が蠢いたままの状態でベッドに押さえつけられている。

「ロキ……! 見ちゃ、ダメぇっ!!」

 完璧な銀の月夜のような彼の前で、自分はなんという格好をしているのか!

「ダメ? 何故です? 貴女が俺からまつ毛を手に入れようと何やらコソコソと頑張っていたので少々細工をさせていただきましたが……。貴女の努力の結果がこの現状ならば、見届けるのが俺の役目では?」

 乱れ、悶えるサクラの姿を、冷静に夜明けの瞳が観察する。

「っ、ごめんなさい……! 謝る、謝るからぁ! 助けて!」

「謝る? 俺はサクラ(姫様)に謝っていただくようなことをされた覚えはありませんよ」

「嘘! 怒ってるっ、絶対ロキ怒ってるよぉ!」

 そうでなければロキがサクラの願いを聞かないはずがない。
 サクラに非がない限り、いつだってロキはサクラの理解者で味方だったのだから。

「ほ、本当にっ、ごめんなさいっ! 媚薬作って盛ろうとして、ごめんなさ、きゃぁっ?!」

 触手が、懺悔の言葉に合わせて先端を捻ってしごく。思わずあげた悲鳴には媚びた響きが混ざっていた。
 それが余計に羞恥心を煽る。

「媚薬! これはこれは驚きました。まさか乙女である姫様がそんな物を作ろうとされていたとは」

 芝居がかった仕草でロキが大仰に瞳を見開く。
 嘘だ。
 絶対に、サクラが何をしようとしているか気づいていたに違いない。

「しかも、それを俺に盛ろうとしていた? サクラ、貴女の俺への気持ちは勘違いだと言ったでしょう。それなのに王女ともあろう方がなんと破廉恥な」

「勘違いなんかじゃ、ないもの……っ」

「勘違いですよ。貴女は本当の『欲』がどんなものか何も知らない」

「―――!」

 ヌメヌメと布越しに動いていた感触が直に侵入する。
 生温いスライムが肌を這う度にそこから熱と疼きが広がって行くのは、最初に作ろうとした媚薬の効果が残っているからだろう。

「……っ! こんなっ、なんでぇ……っ」

「『欲』とは恐ろしいでしょう? サクラ。だからこういう行為は本当に愛する人とするべきです。……今なら俺の浄化魔法で薬の効果を消してさしあげます。貴女はこの国の王女だ。俺みたいな男より、もっと相応しい相手がいるはずですよ」

 毛足の長い絨毯の上をブーツで進み、触手に拘束されながら身体をくねらせるサクラの顎にロキが黒い手袋で触れる。

「サクラ。俺は酷い男です。従者という立場を越えたら優しいだけではいられない。……だから俺が貴女を逃がせるうちに、逃げてください」

「勘違い、してるのは、ロキだもの……っ。私は、ちゃんと、そういう意味(・・・・・・)で、ロキが好きだわ……っ」

 その言葉を聞いたロキの表情が苦し気に歪む。

「残念です姫様。もう少し強めにおしおき(・・・・)しないと、わかってくださらないようですね」




*




「……っ──!」

 あれから、何度絶頂に押し上げられたのか。
 時計の針は2本とも真上を指している。

「……早く、俺への気持ちは間違いだったと、認めてくださいサクラ。そして二度と媚薬など作らないと誓って」

「やっ……! 絶対に、嫌……っ。好き。ロキが、好きなの……!」

「……俺に捕まったら、逃げられなくなりますよ。俺だって、きっとこの触手以上のことをするでしょう。貴女はもっと穏やかな相手をいくらでも選ぶことのできる人だ」

「『あの日』から、私の心はもうずっとロキに捕まってる。貴方以外の、人を見ることなんて、あり得ないわ。だから、お願いだからっ」

 お願いだから私の全てを捕まえて。

 しどけない姿で潤んだ瞳に懇願された宮廷魔術師は、遂に己の本心に向き合うために銀色のまつ毛を伏せる。

 葛藤は一瞬。
 次にその黎明の瞳が開かれた時にはもう迷いは消えていた。

「貴女も、覚悟してくださいね」

 そう言って紅い唇で黒い手袋を噛んで外す。
 同時にサクラを拘束していた触手が蒸発し四肢が自由になった。

「サクラ」

 今度は直に触れた白い指が少女の顎を持ち上げ、吐息が近づく。
 忠誠以外の、初めての口づけ。
 軽くついばむだけのソレはすぐに深いものへと変わり、お互いの舌を絡め合う。

 上手く息ができない。
 けれどこれはなんて幸せな苦しさだろう。

「……ここの、奥までは触手(アレ)は触れていませんよね?」

「もっ、来て……っ。ロキ、来てぇ……!」

「なるべく貴女を苦しませないように努めますが。サクラ、俺は酷い男なのでたった一度の破瓜の痛みを与えるのも悪くないと思ってしまうのですよ」

「良いのっ、ロキが、私にくれるなら」

 痛みも、傷も。
 貴方が私に与えてくれるものは全てが愛しいの。

「――っ!」

 自分以外の存在が。
 それも恋い焦がれて焦がれてたまらなかった相手の一部が。
 自分の中へ入ってくる。

(なんて、幸せな感覚なの)

「良い子ですねサクラ、全部、入りましたよ」
「ロキ、お願いだから、ずっと私のこと、離さないでね」

 勿論です。もう離すつもりなど、ありませんよ。

 熱い吐息と共に耳朶へ触れた囁きは、どんな媚薬よりもサクラを酔わせた。
 きっと、この言葉は永遠に真実となるだろう。



*



 鐘が鳴る。
 大聖堂の祝福の鐘が、国中に響き渡る。


「……わっ! ロキ、格好いい……っ! 白い服のロキって新鮮!」
「そうですか? 俺より貴女の方が褒め称えられるべきだと思いますけど」

 穏やかな陽が降り注ぐ控え室の中で。
 婚礼衣装をまとった二人は蕩けるような笑顔で見つめ合っていた。

「だって、服だけじゃなくて、前髪を後ろに流したロキなんて滅多に見られないんだもん。ドキドキしちゃうよ」
「罪作りな奥様。これから婚礼の儀だと言うのにそんなに可愛らしいことをおっしゃると、式の間に我慢させられたぶん夜が長くなりますよ?」 
「だ、ダメ……っ」
「……だから、そんな顔をしては逆効果だと言うのに」

 照れて逃げようとするサクラを腕の中に閉じ込めたロキの表情がふと真剣なものになる。


「愛しい人。俺の魔力も、血も、命も。永遠に貴女へ。──誓いのキスを」


 13年前のあの日。サクラを一瞬で捕らえた朝焼け。
 今、そこには頬を染めた花嫁の姿が映っている。
 その巡り合わせに目眩にも似た幸福感に包まれながら、サクラは瞼を閉じて恋しい唇を受け入れた。



 こうして夫婦となった稀代の宮廷魔術師と稀代の錬金術師。
 月と太陽のような二人が様々な騒動を起こしながらサウザグルスを更に発展させていくのは、それはまた、別の話。



fin


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