乙女ゲームに転生した華族令嬢は没落を回避し、サポートキャラを攻略したい!
 甘味処の誘惑を振り切り、川のほうに足を向ける。

(転生したのはいいけど、現実問題として、どうやって彼を口説けばいいのかしら。……というか、そもそもどこに住んでいるかも分からないのよね)

 先日は偶然会えたものの、今日も会える保証はない。
 ゲームの案内役ということを踏まえるならば、ヒロインである百合子の近くにいれば、会える確率も増えるだろうか。
 悶々と考えながら河川敷を歩く。すると、ぽんと背中を優しく叩かれて、びくりと身体を震わす。おそるおそる振り返った先にいた顔を確認し、絃乃は奇声を発した。

「うひゃあ!」
「……すみません。怖がらせるつもりはなかったのですが、驚かせてしまいましたか」

 目の前には、困ったように後頭部に手を添えた青年がいた。
 これは、願望が形となった幻か。そう思って目をこするが、幻影は消えなかった。
 思わず開きかけた口を閉じ、絃乃はしばし悩む。
 ゲームでは、彼は自分のことを「案内役」と称していたため、下の名前はおろか、苗字も知らない。

「えっと……この前の幽霊さん……?」
「まだ死んでいないのですが」

 すかさず訂正が入り、慌てて頭を下げて謝罪する。

「そ、そうでした。ごめんなさい。……ええと……」

 目線をさまよわせていると、青年は何かに気づいたように目元を和らげた。

「申し遅れました。僕は佐々波詠介(ささなみえいすけ)といいます」
「ご丁寧にありがとうございます。私の名は、しら……」

 かつて、白椿家は名門華族として名を馳せていた。しかし時代の流れとともに、権力や財力も昔ほどの勢いはない。残っているものといえば誇りぐらいだ。
 家名を口に乗せるのを躊躇していると、意図を汲んだように詠介が語を引き継いだ。

「小紫女学校といえば、お嬢様が通うところでしたね。……下の名前を聞いても?」
「い、絃乃です。糸編に玄人の玄で、絃と書きます」
「なるほど。綺麗な響きですね」

 お世辞だと分かるのに、きゅんと心が高鳴った。
 ゲームではテンプレの文章のみのやり取りだったが、今は違う。言葉のキャッチボールができることの喜びで胸が踊る。

「ところで、前を見て歩かないと、着物が水に浸かってしまいますよ」
「……え……わわっ!」
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