ヴァイスラント公国のワルツ~陛下の恋、僕が叶えてみせます!~

27 前夜の内緒話

 今夜、王都はどこも前夜祭に浮き立って、街は眠らないまま降臨祭の最終日を迎えるのだろう。
「カテリナちゃん、明日はどこに遊びに行こうね?」
 カテリナはそんな感傷的なことを思ってはみたが、カテリナが実家に帰ると大体そうであるように、子どものようにはしゃぐ父をなだめる方が先だった。
 カテリナは自分が保護者のように指を立てて父に言う。
「お父さん、夜更かししちゃだめだよ。もう大人なんだから」
「うん、うん」
 夜のお茶を用意してくれたチャールズもにこにこしてうなずいていた。明日、カテリナが最後のダンスを父と踊るサプライズは、チャールズと話し合って、父には直前まで内緒なのだ。
 父はうきうきと待ちきれない様子で、眉尻を下げて笑った。
「わかってる。カテリナちゃんが一緒にお祭りに行ってくれるだけでいい」
 カテリナは結局最終日まで王城でお仕事だが、夜になったら実家に帰る。祭りも最高潮の頃、街はてんやわんやだから、親子関係を伏せてきた二人が連れ立っていても案外誰も気づかないかもしれない。
 父とカテリナはいつものように長椅子に座って夜のひとときを過ごす。
「今日もパパ疲れたよ。王城は難しいことばっかだもん」
 父は甘えんぼじみた情けない表情を浮かべながら、生まれながらの貴族のような仕草で紅茶を飲んでいた。父は辺境で農夫の子として生まれ育ち、騎士としても仕官としてもまるで教育など受けていないのに、誰も知らないところで努力を重ねて総帥の地位にまで上り詰めた。どこまでも確実に到達点にたどり着く人なのだ。
 父は愚痴を言ったものの、実にこだわりなく笑った。
「いいけどね。ママと結婚したくて出世して、カテリナちゃんも元気に大きくなったから」
 カテリナは家でのへなへなした父を見て子どもの頃こそ心配していたが、王城で鬼のように働く父を見てからは考えを改めた。カテリナの素直さは父譲りだとチャールズは言うが、父はカテリナのように潔い撤退はしない。戦争という過酷な時代を先頭で駆け抜けて、自分はこれでよかったと紅茶を片手に笑ってみせる父の強さを、カテリナは尊敬している。
 ふわぁとカテリナは大きなあくびをして言う。
「そろそろ寝るよ。たぶん明日はすごく忙しいだろうし。おやすみ、お父さん」
 父は紅茶を置いていつものように両手を差し伸べた。
「はいはい。おやすみ」
 カテリナが夜のあいさつにぎゅっと抱きしめると、父はカテリナの背中をぽんと優しくたたいて笑った。
 父の部屋から回廊を渡って自室に戻ったとき、馬車が屋敷の前に止まる音が聞こえた。
 父はカテリナには告げないし同席もさせないが、夜に客を招くことがある。そういうときはカテリナの前で見せる甘い父親の顔ではないのだろうが、父が見せたがっていないものを見ようとは思わない。
 もしかして新しいお母さんになる人なのかなと思ったこともあるが、父は社交界で貴婦人に好かれる細やかな気遣いもできる割に、未だに母一筋だった。彼女の残した忘れ形見のカテリナは、父からの愛情を独占してきた。
 それはお父さんにとっていいことなのかな。ふとそう思うこともあるけれど、父に言えないくらいにはカテリナは父に甘えている。
 カテリナはベッドに入ってしばらくは目を閉じていたが、明日は降臨祭の最終日だと思うといろいろなことが頭をよぎった。
 精霊がやって来る日、ヴァイスラント中がダンスに興じる日、国王陛下に仕える最後の日。
 待って、最後の一つはただの異動だよと焦ったが、その一つが無性に頭の中をぐるぐると回る。ギュンターに書類のことで叱られたとき、星読み台に出かけたとき、ふいに彼が何か言っただけの記憶、たった十日間だったのに一生分彼の下で働いていたみたいに心に焼き付いている。
 一生が終わるわけじゃないんだよ。そう思った自分の心の声がとても悲しそうで、カテリナはベッドを抜け出していた。
 庭に出て星を仰ぐと、零れ落ちてきそうなほどたくさんの星が見えていた。精霊は星の降る夜にやって来ると言うけれど、今夜だって夜気は深く澄んで、宝物のように星々を包んでいた。
 ふいに星が流れて、カテリナは思わず願っていた。明日はいつもより少しだけ長い一日であってほしいと。
 精霊はきっと今頃たくさんの人に願いをかけられていて、カテリナの他愛ない願い事を聞いている時間はないだろうけど、そんなことを思った。
 カテリナが部屋に戻ると、チャールズの苦笑に迎えられた。カテリナが眠れない日はいつもそうやって、カテリナが夜気に冷えてしまわないように戻って来るまで心配しながら待っているのだった。
「明日は降臨祭の最後の日だね」
 カテリナが照れ隠しに言うと、チャールズはカテリナに温かいミルクを差し出しながら返す。
「終わりたくないというお顔ですね」
「でも元通りになるだけなんだ」
「いいえ。精霊でもない限り、同じ形でいることなどありませんよ」
 チャールズはちらと父の部屋の方を見やって言う。
「たとえば今夜のように、シエル王弟殿下がお嬢様を訪ねていらっしゃるようになった」
「え?」
 カテリナは慌てて聞き返したが、チャールズは安心させるように言った。
「お嬢様は私の娘ということになっています。旦那様は、メイン卿は彼女を連れて降臨祭に出かけていて不在とでもお伝えしているでしょう」
 それは降臨祭が終わった後は通じない言い訳になる。カテリナがどうしようと目を伏せると、チャールズは言葉を続ける。
「それに、私は毎日のように国王陛下からお手紙をいただくようになりました。ご令嬢をまた、サロンに連れてきてもらえないかと」
 今度は、カテリナは息を呑んで言葉に詰まった。どうしようと考えるより、なんだか嬉しいような、くすぐったいような気持ちで言葉が思い浮かばなかった。
 どうにか自分のそういう感情のうねりを収めて、カテリナはチャールズを見上げる。
「ごめん。チャールズにもお父さんにも迷惑をかけて」
 チャールズは首を横に振って、いいえ、と言葉を返す。
「ダンスのお誘いを断るのは女性の権利です。私たちが断るまでもなく、お嬢様は相手が国王陛下だろうとお断りできるんですよ」
 チャールズはカテリナをいたずらっぽく見つめ返して言った。
「でもチャールズにだけ、お嬢様は今誰のことが気になっているか教えてくださいませんか?」
 カテリナは下を向いて赤くなると、チャールズを見上げて、また下を向いて、何度か同じことをしていた。
 もぞもぞとカテリナが口にした名前を精霊が聞いていたかどうかは、夜が明けるまでまだわからないのだった。
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