祈りの空に 〜風の貴公子と黒白の魔法書
 明るい昼間でも、地方の街道はそうそう賑わっているものではない。大きな祭りや特別な出来事があるのでなければ。
 なのに、トーラの町に近づくにつれ、街道に人の姿があふれてきた。
 トーラに向かう者はひとりもいない。みなトーラの方角からやってきて、シルフィスたちとすれ違い、トーラから遠ざかっていく。
 しかも雰囲気が尋常ではない。誰もが大きな荷物を背負っている。家財道具を幌からはみ出させた馬車がガタガタと通っていく。赤ん坊を抱いた女や年寄りの手を引く子ども……まるで避難民の群れだ。
 何が起きているのか。
 馬から降りてやってくる者に話を聞こうとしたのだが、シルフィスの声に応じる者はいない。ひたすらトーラから離れようとするように、急ぎ歩いていく。
 ようやっとシルフィスの呼びかけに足を止めてくれた者がいた。はぐれないよう手をつないだ老夫婦だった。
「何があったのですか」
「ああ、あんたも早く逃げなさい」
 尋ねたシルフィスに、喘ぐように老人が言う。
「伝説の雷帝が甦るそうだ」
 愕然とした。
「どこで、その話を」
「あたしの鏡に、黒い文字が現れたんだよ。今日の朝だ」
 隣の老女が早口にまくしたてた。
「あたしのところだけじゃない。三軒向こうの奥さんの鏡にも。──レイシアで雷帝が復活するって。死体を従えて雷を呼んで、王都に向かうって。だったらトーラを通るだろ? ああ、恐ろしい。レイシアで死体が甦ってるって噂は、本当だったんだ……」
「ばあさん、急ごう。お若いの、あんたもすぐに引き返した方がいい」
 ふたりが行き過ぎたあと、もう何人かに話を聞けた。混乱して、断片的だったりしたが、大体のところはわかった。
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