とある企業の恋愛事情 -ある社長令嬢と家庭教師の場合-
 部屋へ戻ると、聖が資料棚を開けて何か探していた。

「俊介、各部署の名簿ってどこにあるか知らない?」

「ああ、すぐ用意する。待っててくれ」

 俊介は棚の中から目的の冊子を出して聖に渡した。聖は受け取るとにっこり笑った。

「ありがとう、やっぱり俊介は仕事が早くて頼りになるね」

「それが秘書の仕事だからな」

「補佐になるって聞いた時はちょっと、不安だったの。でも俊介もはじめさんもいてくれるから……安心して仕事できるわ」

 本堂の名前が出て、俊介は少しイラッとした。先ほどのやり取りをしたからか、余計に反応してしまうのだろう。

「聖は……どうして、本堂を家庭教師にしたんだ?」

 思っていたことが不意に口をついて出た。聖も驚いたようだった。

 だが、以前から気になっていたことだ。

 最初は聖の気まぐれ、遊び半分だと思っていた。瓶底眼鏡の中で少しだけマシそうな相手を選んだだけ。すぐに終わると思っていたし、一ヶ月も保たないと予想していた。

 それなのに聖は本堂を本採用し、自身の家庭教師として本堂を尊敬するようになった。

「俊介は、はじめさんのこと好きじゃないでしょう?」

「いや、そんなことはないが……」

 声が上擦る。嘘が下手なのは自分でもわかっている。聖は可笑しそうにくすっと笑った。

「嘘、それくらい分かるわ」

「……あいつは忠誠心もないし、仕事はできるけどお前のそばに置けるような人間じゃ────」

「私が彼を選んだ理由はね」

 俊介の言葉を遮るように、聖は唐突に言った。

「彼が本気の感情を私に向けてくれる人だからよ」

 そう言った聖は、笑っているようにも悲しんでいるようにも見えるような、そんな表情をしていた。

「本気の感情……?」

 俊介はその言葉の意味がわからず、疑問符を浮かべた。

 それは、いつか聖が言っていた人間のことだろうか。本気で自分を好きになってくれる人間────。

 だが、それは聖の勘違いだ。本堂は決して、本気などではない。それがわからないのだろうか。

 俊介は焦るような気持ちだったが、口には出来なかった。

「その感情が私には必要なの。だから彼を採用した」

「どういうことだ?」

「俊介に教えると、きっと怒るから言わない」

「なんだよ、俺だけのけ者か?」

「俊介は彼とは違うわ。違うからこそ私はあなたが必要よ。だからはじめさんと比べたりしないで」

 ────見透かされている。

 怒りの気持ちはスッと治った。聖にここまで言われたら、これ以上は言い返せない。

「……分かった、もう聞かない」

「二人とも仲良くね?」

「お前が言うなら、仕方ないな」

 もし本堂が聖を傷つけようとしているのなら、全力で阻止しよう────そう誓った。

 聖が言った言葉の意味は、相変わらず分からない。どういうことか、いつか自分に教えてくれるだろうか。本堂を採用した理由を────。

 本堂は聖のことを好きではないことは確かだ。それなら、その「本気の感情」とはなんなのだろう。
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