とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 顎に手をついたまま、文也はぼーっと宙を眺めた。視線はパソコンに向いているが、画面の中は見ていない。文字通り、ぼーっとしているだけだ。

「社長、どうしたんですか。最近ずっとぼーっとしてますよ」

 古谷に指摘されるのも何度目だろうか。今週に入ってから一日一回は言われているような気がする。流石に社長としてまずいなと思いながらも、文也は思考を切り替えられなかった。

「ご飯食べてないんですか? それとも寝てないんですか? 顔色も悪いですし、家に帰って休んだほうがいいと思います」

「せやな」

「しゃ、社長が素直に認めた……本当に大丈夫ですか。どこか具合が悪いんじゃないんですか」

 古谷のボケに返事する気力もない。美帆に振られてからずっとこの調子だ。

 仕事が忙しければ忙殺されて嫌な事も考えなくなるのだろうが、繁忙期を乗り越えてしまったために現在はそこまで仕事に追われているわけではない。考える時間はたっぷりあった。

 ひょっとしたら、美帆は今頃元彼と寄りを戻しているのだろうか。なんて妄想が膨らむ。それか、また別の相手とデートしているのかもしれない。

 美帆なら男など山のように寄ってくるだろうし、遊ぼうと思えばまだまだ遊べる。それこそ、結婚などせずとも。

 その時だった。文也の仕事用のスマホが鳴った。

 顔を動かすのも面倒で、文也はチラリとデスクの上に置いた画面に視線をやった。その瞬間、ぼんやりしていた思考が一気に覚醒する。

 文也は眉間に皺を寄せると、スマホを持ったまま席を立った。そのまま廊下へ行き、人がいないところで電話に出た。

「……今更なんの用やねん」

『まったく。相変わらず口に聞き方がなっていない』

 高圧的な口調。上から目線なものの言い方。相変わらずはどちらだろうと、文也は内心文句を垂れた。

 電話の主、雅彦は自分がしたことなど忘れているかのように言った。

『雑談などいい。お前に見合い話がある』

「はぁ?」

 突然訳の分からない話をされたせいだろうか。不快指数が一気に上がる。

 あんな事件を引き起こして、息子に罪をなすりつけてトンズラした男が何を言っているのだろうか。頭がおかしいのだろうか。それともボケているのだろうか。

 連絡を絶ったと思ったら今度は見合い────冗談にも程がある。

『藤原製薬の娘だ。今度席を設けるからそのお嬢さんと会ってこい』

「……アンタ、自分で何言ってるか分かっとるんか。どのツラ下げて俺にそんなこと言うねん」

『外に出て小金を稼げるようになったからといって調子に乗るんじゃない。藤原製薬はうちと付き合いも長い会社だ。粗相をするなよ』

「俺は行かんからな。勝手に決めんな」

 このまま話しても埒があかないので強引に電話を切った。指先が軽く震えていた。久しぶりに話したから耐性がなくなったのだろうか。

 ────あのクソ野郎。勝手なこと言いやがって。

 大方美帆が気に食わなくて別の相手を用意しようと思ったのだろう。狡い男の考えそうなことだ。

 だが、文也は当然見合いになど行く気はなかった。ただでさえ美帆に振られて傷心のところに、別の女と見合いなんてできるわけがない。

 美帆のように想える女性などいない。だから見合いなどしたところで意味はない。
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