目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
「……熊? 訓練場の付近にか」

 可憐な乙女の姿になってしまった主人は、そこでようやく腹筋運動を止めて私を見上げた。
 リシェル様からあれほど体を無暗に鍛えるなと懇願されているのに、ヴァルト様には彼女の悲痛な願いが全く届いていないようだ。
 まぁ別に彼女がヴァルト様のせいで筋骨隆々になっても私には何の影響もないが、目の前で険しい顔をした令嬢がガニ股で歩く姿はさすがに見るに堪えない。

「……ヴァルト様、一度着替えて来てください」
「何故だ」
「そちらはリシェル様のお体ですので、端的に言うと目の毒です」

 面倒臭そうな顔をしたヴァルト様が渋々と着替えに向かったのち、私は大きく、されど密かに溜息をついた。

 ──お二人の体が入れ替わってから、早一週間ほど。
 裏返った声できゃっきゃと喋る主人と、ドスの効いた声でふんぞり返る伯爵令嬢の図には未だ慣れない。いや、既に受け入れかけている自分がいるのも確かだが。

 それはともかく、ヴァルト様に呪術を掛けた容疑者として最も疑わしいのは、第二王子マクシムを王太子に推す一派だ。
 以前からヴァルト様を目の敵にして動いてきた連中で、すぐに尻尾を掴めるかと思ったが……呪術師というただでさえ未知の部分が多い存在ゆえか、なかなか手がかりを見つけられない状況が続いている。
 この珍妙な事態が解決しない限り、ヴァルト様の立太子の儀は諦めなくてはならないだろう。国を率いる次期国王が今のような不審な態度を取り続ければ、陛下や民からの信頼を失いかねない。

 況してや王としての教育を何も受けていないリシェル様に、このまま王太子の役目を負わせるなど酷だ。それは言うなれば彼女に対して、残りの生涯をヴァルト=フォン=ベルデナーレとして生きよ、と無茶な要求をするようなもので──。

「……どうしたものか」
「セイラム様?」

 じっと思考に耽っていると、執務室の扉が僅かに開いている。
 隙間を覗き込めば、そこに小柄な少年が立っていた。何度かノックをしたのだろう、不思議そうにこちらを見上げている。

「クロムですか。すみませんね、気付きませんでした」
「いえ! あれ、ヴァルト殿下は……」
「今は外しておられます。熊の件で何か補足でも?」

 執務室の扉を閉めれば、クロムは「はい」と静かに肯いた。

「先程確認して参りましたが、あれはフリュグ子爵領の山奥に棲息する種です。王都まで迷い込むとは考えにくいかと……」
「ふむ。人為的に放たれた可能性が高い、と」
「恐らく」

 加えて件の熊は蒼鷲の騎士団が訓練をしている最中に現れ、王子の身に襲い掛かった。何とリシェル様が果敢にも返り討ちにしたので、幸い大事には至らなかったものの──。

「……クロム。熊の唾液は調べましたか」
「はい。微量ですが薬物……興奮剤とよく似た成分が検出されました」

 思わず舌打ちが漏れた。
 どうやら呪術師、否、ヴァルト様を狙う黒幕が動き出したようだ。
 奴らは王子の中身がリシェル様であると知りながら、危険な野生動物をけしかけてきた。命を奪うには至らずとも、王子の体を少なからず負傷させるつもりだったのだろう。

 ──腹立たしい。そのうちヴァルト様にも刺客が差し向けられることだろう。今の主人は不味いことに、己の身を守ることも覚束ない、か弱い乙女なのだから。

「何だ、来ていたのかクロム」

 部屋の奥から出てきた銀髪の娘に、一瞬だけクロムの目が点になる。
 しかしそれも束の間のことで、途端に「うわ!」と笑顔を浮かべて飛び上がった。

「本当に伯爵令嬢と入れ替わってるんですね! あっははは殿下が美少女になってる、いや美少女が殿下になってる……?」
「クロム、ローレント嬢の様子はどうだった」
「あ、はい! 頑張って殿下のお芝居をしていらっしゃいましたよ。とてもお可愛らしい方ですね」
「……? お前、まさかローレント嬢に何も言ってないのか」

 私とヴァルト様のげんなりとした視線を物ともせずに、クロムは平然と頷く。

「はい! 僕が全て知った上で同行してるなんて何一つ申し上げておりません!」

 ああコイツ完全に面白がってやがるな。
 ヴァルト様が抱える優秀な隠密とはいえ、この歳で性格に難があるのは如何なものか。
 王子の振りをせねばとジタバタしているリシェル様を、隣で眺めてはにこにこしていたのだろう。この少年は天使の顔をしたとんでもないクソガキだと、彼女にも教えておいた方が良いかもしれない。

「いやぁ、お体が元に戻ったら噂通りにご結婚されたらどうですか? 意外とお似合いですし」
「こら、やめなさい」
「お互い身体的にも勝手知ったる仲ではありませんかぁ」
「純粋な子どもの心をドブにでも捨てて来たんですか貴方は」

 けらけらと笑っている少年の口を片手で押さえつけ、私が執務机を見遣ったときだった。
 ヴァルト様がわずかに顔を青褪めさせ、その場に蹲ったのは。

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