目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
 珍妙な空気を持て余しつつ、私たちはホールの中央に向かいました。
 舞踏会では基本、ゲストの中で最も身分の高い方が、最初に奥さまやご息女と踊るのが通例です。
 しかしながらヴァルト様は妻子をお持ちではありませんので、一緒に招待されたパートナーの私が相手を務めることになっていました。

「だ──大体、ヴァルト様があんまりにも静かだから、私が代わりに白鳥王子の相手をしたんですの、分かっておられますのっ?」
「ああ」
「それなのに私のことからかうなんて酷いですわ」
「からかったつもりはない」

 小声で文句を垂れながらもホールの中央へ辿り着けば、静かに耳を傾けていたヴァルト様が苦笑をこぼしました。

「一人で対処させたのは謝る。何分お前の喋りは達者だからな」
「つまり傍観していましたのね」
「機嫌を治せ」

 右手を掬われ、大きな手が私の腰に添えられました。それと同時に音楽隊による演奏が始まり、ヴァルト様が片足を後ろへ下げてリードを始めたのですが。
 何という安定感。
 自慢ではありませんが私、それなりに多くの殿方とダンスを踊ったことがありますのよ。皆様とてもお上手でしたけれど、ヴァルト様ほど私の歩幅や呼吸に合わせてくださる方はいらっしゃいませんでした。
 一体何故……あ、そういえばこの方は私の体に入っていたのでしたわね。そりゃあ私の体の動かし方なんて把握しているに決まっています。

 ──ええ!? 待って、それ、とてつもなく恥ずかしくありませんこと!?

「ちょ、ヴァ、ヴァルト様」
「何だ。踊りづらいか」
「いいえとっても踊りやすいですわ、けどあの」
「安心しろ、お前の利き足も背筋の強さも把握しているし体幹のズレも直しておいたぞ」
「ひえぇぇ!? それですわよそれ! 私が妙に踊りやすい原因!」

 把握どころか施術までされているではありませんの!? もはやこの体のことなんて知り尽くしてるのでは──やだ、破廉恥な物言いになってしまいましたわ!
 私が恥ずかしさに負けて俯けば、それを咎めるように腰を引き寄せられます。しかして耳元で囁かれた声は静かで、次の一歩を誘導する大きな手も、私を気遣うような優しいものでした。

「ローレント伯爵から、お前は踊りが好きだと聞いた。幼い頃は卿とよく踊っていたとも」
「そ、そのようなこと、いつ」
「お前とセイラムが伯爵邸に来る前だ」

 聞けば、お父様は急に様子がおかしくなった娘を心配して、いつもより執拗にお声がけをしてくださったようです。きっと、その中に昔の思い出話も混ざっていたのでしょう。
 確かに昔、私はお父様と戯れにダンスをするのが好きでしたわ。
 いつか心に決めた人と踊れると良いね、とお父様は優しく仰ってくれて──。

「だからと言うわけでもないが……この後は好きに楽しめ。マクシムも今日はこれ以上突っかかって来ないだろう」
「え、う、一人で?」
「いや、悪いが俺は離れられんからな。これぐらいなら付き合う」

 これ、と言いながらヴァルト様は軽く勢いをつけて回り、私を軽々と持ち上げては優しく着地させました。併せて瑠璃色のドレスの裾が美しく翻れば、観衆からうっとりとした溜息が聞こえてきます。
 私としたことが、その後はただヴァルト様の手に従って揺られるのみでした。婚約者探しをしていた頃は、相手や他の令嬢に隙を見せぬよう、ダンスの最中も気を張っていたのですけれど、今は──ただ純粋にこの時間が楽しかったのです。

 さりとて幼い頃、お父様と無邪気に踊っていたときとも違う。

 急に黙りこくった私を一瞥したヴァルト様は、先程と同じように険しいお顔をされて視線を外されました。

「……。お前が黙ると調子が狂う」
「はっ……そ、それは私の台詞でございます。私に付き合うなど」

 いえ、そもそもヴァルト様は以前から私に良くしていただいていたような。
 未だに筋トレをやめる兆しはありませんけれど、私の体で無茶をしたことは勿論ございませんし、私がヴァルト様のお体で薔薇風呂に入りたいなどと申し上げても文句ひとつ言わず用意してくださいましたし。
 成り行きで知り合っただけの私に、ヴァルト様は概ね優しくしてくださっています。一介の令嬢にここまで心を砕いてくださる王子殿下が稀有な存在であることは、マクシム様を見れば一目瞭然でした。

「……あの、ヴァルト様」

 演奏が終わりに近付く頃、私はおずおずと口を開きました。
 瑠璃色の瞳がふと寄越されれば、感じたことのない疼きが胸に生じました。

「私、初めてヴァルト様とお会いできたような気分なのです。入れ替わってからは殆ど毎日お話していたはずですのに」
「……同感だな」
「え」

 まばたきを繰り返すと、ヴァルト様はまた、あの穏やかな笑みを浮かべたのでした。

「お前が何度も、俺の顰め面を注意してきた理由が分かった。……今日になって初めて、俺も本物のリシェル=ローレントに会ったような気がする」

 あわや躓きそうになった瞬間、演奏が終わり、ホールに拍手が響き渡りました。
 私は何事もなかったかのようにヴァルト様に手を引かれ、ホールの中央から退きましたが──茹蛸のような顔はばっちりと皆様に見られてしまったことでしょう。

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