目が覚めたら屈強な強面王子と入れ替わってしまいました ~お願い!筋トレは週一にして!~
「すまん、遅くなった。もう大丈夫だ」

 ただ首を振ることしか出来ない私を抱き寄せ、ヴァルト様は優しい声音で仰いました。そのまま頭や肩に纏わりついた枝葉を払い落としながら、ふと私の右腕を見たヴァルト様が息を詰めます。

「やはり矢が当たったか」
「あ……! も、申し訳ありませ、私、ヴァルト様のお体に、傷を負わせて」

 咄嗟に転がり出た謝罪は、華奢な肩に吸い込まれてしまいました。
 静かに背中を撫でる手が、私の乱れた呼吸をゆっくりと落ち着かせてくださいます。
 やがてヴァルト様は長い溜息をつくと、言い聞かせるように囁かれました。

「俺の体はいくら傷付こうと構わん。お前の魂を守る盾になれたなら、それで良い」
「ですが」
「リシェル。悪いのはお前じゃなくて、危害を加えた不届き者の方だ。そうだろう」

 いつしかの発言をなぞるような言葉を口にして、ヴァルト様は微笑まれます。その笑みに私がしゃくり上げながら頷けば、もう一度だけ頭を引き寄せてくださいました。
 ずっと涙をぽろぽろ零していた私は、ようやく呼吸が落ち着いてきた頃にお尋ねしました。

「……ヴァルト様、どうやって、こちらまで……?」
「ああ、そいつで」
「え?」

 ヴァルト様が指差した方向を見遣ると、そこには何と大人しく池の畔で座るダチョウの姿が。

「ええ!? て、手懐けましたの!?」
「リボンの裏に名前が刺繍されていてな。呼んでみたらすんなり言うことを聞いた」

 そう仰って差し出したピンクのリボンには、確かに「ジョセフィーヌ」という立派な名前が刺繍されていました。ヴァルト様が咄嗟に彼女の名を呼ぶや否や、ジョセフィーヌはダチョウから賢馬へ早変わりしたわけです。
 ということは先程私が聞いた妙に大きな足音は、ジョセフィーヌの強靭な脚から繰り出される音でしたのね。

「治療薬もここにある。すぐに……」

 小瓶の蓋を開けたヴァルト様は、何かを思い出したご様子で固まりました。

「……お前、水がないと飲めないんだったか」
「あ……」

 そうでしたわ。以前の応急薬はセイラム様がお水を用意してくださいましたが、ここには何も──。

「だ、大丈夫ですわっ、ぐずぐずしていたら公爵が来てしまいますもの! 苦いのは嫌ですけど噛み砕いてしまえば……って」

 いつの間にかヴァルト様は池の傍に屈み、片手で水を掬っては口に含んでいる最中でした。
 やがて、ぽかんとしている私の前にやって来ては、治療薬のうち一粒を小瓶から取り出し。それも自身の口に放り込み。


 そして──私の顔を両手で上向きに固定しては、いとも容易く唇を重ねました。


「んぅーッ!?」

 お、お待ちになってー!! これ自分とキスしていることになるのですけど!? ファーストキスが自分ってどういうことですのぉ!?

 私が混乱している間にも、ぴったりと合わさった唇からは水と丸薬が押し込まれます。そのまま嚥下を促すように後頭部を摩られれば、喉に閊えることなく丸薬を飲めました。

「飲めたな」

 唖然とする私に構うことなく、ヴァルト様は残る一粒を水も無しにごくりと飲み込んで見せます。
 刹那、以前と同じように腹部が熱を持ち、やがて全身が発熱し始めました。風邪とよく似た倦怠感に襲われ、くらりと視界が揺れたときです。

「くそ、早く見付けろ! あと少しでヴァルト王子の首を取れるのだぞ……!」

 暗闇の外から、ゲイル公爵の苛立ちを孕んだ声が聞こえてきました。勿論それに伴い、武装した兵士が庭園を踏み荒らす気配も近付いています。
 逸る気持ちに負けて体を動かすと、更なる眩暈が体の自由を奪い──。

「いたぞ、こっちだ!」

 鎧の擦れる音がすぐそこまで迫った瞬間、射し込んだはずの眩い光が、静かに遮られました。
 頬を圧し潰す硬い胸板、背中を包む力強い腕。伝わる温もりにホッと安堵しながら、私はゆるゆると顔を上げました。


「ヴァルト、さま」


 掠れた呼び声によって開かれる、瑠璃色の瞳。
 慎重に息を吐いたヴァルト様は、私を垣根の側に座らせました。その間もぼうっとしていると、ヴァルト様が腰の剣を引き抜きます。

「すぐに終わる。ここから動くな」

 労わる手つきで頭を撫でられ、私は無意識のうちに頷いておりました。
 遠ざかる背は私の知る筋肉王子ではなく、かつてベルデナーレを救ったという、一人の英雄のものでございました。



 ──ヴァルト様はたった一本の剣を手に、瞬く間にゲイル公爵の手先を蹴散らしてしまいました。
 あろうことか全ての武器を叩き折られてしまった兵士の皆さまは、ヴァルト様に恐れをなして逃げ惑っております。中には死んだふりをしてやり過ごそうとしている者もいましたが、それは野生の熊相手にやることではないでしょうか。

「くっ……何をしておる貴様ら! 逃げるな、この」
「ゲイル卿」
「ひぃ!!」

 何とも情けない悲鳴を上げたゲイル公爵は、尻餅をついて後ずさりました。ヴァルト様はそれを静かに見下ろしたまま、ゆっくりと距離を詰めていきます。

「王宮でこれほどの騒ぎを起こせば、言い逃れは出来んな。ようやくお前を牢に入れられそうだ」
「ふ……ふざけるな、私は、私はドッザの血など認めんぞ! 王位に就くのはマクシム様だ! あんな馬鹿でも正統なるベルデナーレ王室の純血なのだ、ぞ……」

 公爵は何故か、それ以上後ずされないことに気が付いて言葉を途切れさせました。怪訝なお顔で後ろを振り返ると、そこには──。


「やあ、公爵」


 ダチョウに蹴飛ばされて噴水に突っ込んで以降、お姿を見せていなかったマクシム様がいらっしゃいました。
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