Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

 見かけない調律師が亡き愛妻のピアノを奏でる様子を目撃した主人が驚いた顔をしていたのが印象に残っている。そしてシューベルトのピアノソナタのCDをチップ代わりに手渡され、来年も貴方にお願いするよと、言われたのだ。なぜ彼があのときシューベルトのセレナーデを弾いた俺を見て、即決したのか、理解できたのは翌年になってからだ。

 ――それから半年もしないうちに、あの忌わしく悲しい飛行機事故が起きた。

 悲劇のピアニストという文字が加わった彼女は、周囲の重圧に耐えながら必死になってピアノを奏でていた。精神的に追い詰められて目に見えるほど痩せてしまった彼女は、はじめのうち同情されていたが、心の傷が癒えないうちに、思ったほど金にならないと悟った彼らから、突き放されてしまう。予定されていたCDは発売されず、契約も打ち切られてしまったのだ。社会的に抹殺されたという表現もあながち嘘ではない。

 その後、ピアニスト鏑木音鳴がどうなったのか、俺は知らずにいた。
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