おじさんには恋なんて出来ない
 美夜が『MIYA』として活動を始めてそこそこ年月が経ったが、まだまだ音楽だけで生計を立てて行くには及ばない。

 練習のためにスタジオを借りたり、機材を買ったり、それだけでもかなりお金がかかる。CDだって自費で作らなければならない。音楽は金がかかるのだ。

 美夜は自分が本来進むべき道とはかなりずれていることを自覚していた。

 現実は甘くない。ピアニストとして売れたい美夜に、世間の風当たりはキツかった。

 事務所に入らないかと声を掛けられたこともある。いい話だったが、美夜は断った。事務所が売り出したい方向性と、美夜が思う自分がかけ離れていたからだ。

 ピアニストとしてある程度の容姿は必要だと思っている。人目を引くだけで武器になるのだから、あった方がいい。だが、周りはアイドルのように自分を扱いたがる。既存のファンの一部もどこかそんな様子だ。

 美夜はあくまでも《《自分のピアノを》》聴きに来てほしいと思っていた。

 魔が差したファンがこの間にようなことをすると、「まだ自分の実力が足らないんだ」と考えた。

 収入も満足にあるわけではなくて、売れてもいない。悩む日々が続いた。

 そんな時に、あの男性が現れたのだ。

 ────実は、色々あって落ち込んでいたんです。でもなんだか元気が出て来ました。音楽はいいですね。

 男性はそう言った。単純な言葉だったが、美夜は慰められた。

 自分の音楽は間違っているのかもしれない。こんなやり方ではピアニストとして失格かもしれない。そうやって自信を失っていたところを、あの言葉に救われたのだ。

 あの男性にとっては大したことではないかもしれないが、それは小さな勇気になった。




 演奏を終えると、物販に列が出来た。列と言っても、三、四人の小さな列だ。基本はいつも来てくれているファンを中心に、たまに新規の客が混じる。

 いつものように雑談と握手をして、一番最後にあの男性が来た。

「こんにちは。まだ来てくださったんですね」

「仕事が早く終わったもので、寄ってみました」

 美夜は、一体どんな人なのだろうか、と男性を見上げた。仕事は恐らくサラリーマンだ。身なりは綺麗にしているし、言葉遣いも穏やかで、品がいい。投げ銭はいつも最低三千円は入れていく。生活に余裕があるのだろう。

 この間は意図せずだったようだが、助けてもらった。多分、いい人だ。

「セカンドアルバムが一番気に入っていて、よく聴いています。全部、いい曲ばかりですが」

「本当ですか? あれ、自分でもいちばん気に入っているアルバムなんです」

「次のアルバムが出るのが楽しみです。MIYAさんの曲はどれも気に入っているので」

 美夜の中でこの男性の「いい人バロメーター」が最大値に達した。《《多分》》でなくて、この人はいい人なのだ。

 みんながみんなこの男性のように自分の音楽を楽しみに来てくれたらどれだけいいか分からない。

「曲はたくさん書いているんです。でも、なかなかアルバムにするに至らなくて。頑張って今年も出そうと思います」

 アルバムを作る費用は洒落にならないが、こうして楽しみにしてくれているファンがいるのだ。美夜はまた頑張ろう、と思った。
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