おじさんには恋なんて出来ない
 ────うわあ、満員だ。

 この日、美夜が川崎駅前に着くと、いつも演奏していた場所のいくつかが他のアーティストに抑えられていた。

 こういうことはよくあった。だが、文句など言えるわけもない。皆無許可でやっているのだから。相手も美夜も警察に注意されるのを覚悟でやっている。

 美夜はなんとか空いている場所を見つけた。あまり目立たない位置だが、仕方がないと諦めた。

 少しすると方々から音が鳴り始めた。今日はファンに告知していないからどうなるか分からない。それでもやらないよりはやった方が誰かが気付いてくれる。

「なんだ、お前も今日ここでやってんのか」

 準備していると、声を掛けられた。突然の失礼な口調に、美夜は思わず顔をしかめた。なんだか聞き覚えのある声だと思ったら、「元カレ」のリョウだった。

「……別に、邪魔にはなってないでしょう」

「ふん。相変わらずお高くとまってんな」

 リョウは小馬鹿にしたように吐き捨てた。

 リョウと付き合っていたのは二年ほど前の話だ。だが、すぐに破局したので恋人として何かした記憶はほとんどない。

 美夜がソロでやっているのに対し、リョウはバンドのギタリストだ。腕はいいが、音楽に対する姿勢はまるで違った。美夜が一日に何時間も練習に費やしたり誰とも組まずに一人でやっていることに対し、理解を示さなかった。

 リョウは音楽を仕事として考えていない。あくまでも趣味で、バイトをしながらのらりくらりと活動していた。だから美夜が音楽で生計を立てていきたいと思っていることに対し、否定的だった。

 それはこの業界でやっていくことの厳しさを知っているからでもあるが、美夜はそれを逃げだと捉えていた。

「別に関係ないでしょ。それともここでストリートしたいの?」

「こんなところでやるかよ。たまたま見えたんで来ただけだ」

 リョウはそれだけ言って去った。近くに他のメンバーも来ていたようだ。リョウはリョウで場所をとっていたのだろう。

 ────お母さんもこんな感じだったのかな。

 美夜は背を向け、ため息をついた。

 美夜の母親はそこそこ名の売れたピアニストだった。美夜は母親がピアノを弾いている姿が好きで、真似をしていたら教えてもらえるようになった。それからピアノを始めた。

 だが、父親は母親の音楽活動に否定的だった。

 最初はそうではなかったようだが、次第に母親の音楽活動に難色を示し始めた。父親は普通の仕事をしていたため、母親の仕事が忙しくなると家のことが父親に任せきりになったからだ。

 母親も努力していたが、一日に何時間も練習し、コンサートが入ると何日も家を空ける。しかしそれはどうしようもなかった。

 しかしそれに腹を立てた父親は離婚するか音楽を辞めるか選択を迫った。

 そして、母親は父親ではなく音楽を取った。美夜も音楽が好きだったので、父親ではなく、母親について行くことにした。

 好きな人をとるか好きな仕事を取るか。究極の選択だろう。父親が音楽に対し理解を示してくれていたら、もっと違ったかもしれない。

 リョウとのことは仕方なかったが、もしこれから付き合う人がいるのなら「夢を応援してくれる人」がいい。けれど、そんな都合のいい人はいないだろう。

 成功していない。先の見えない自分の夢は誰に言っても否定された。

 なんとなく気分が落ち込んで、美夜は出したばかりのキーボードを仕舞った。
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