おじさんには恋なんて出来ない
離婚してから大体三ヶ月経った。流石にもう周囲から尋ねられることはなくなったが、飲み会に誘われることは増えた。
独り身の同僚はこれで気軽に飲み歩けるな、などと言って慰めたが、そんなことをしなくても今の辰美には楽しい趣味の時間があった。
「上坂君。そういえば君、最近娘さんにピアノを買ったって言ってなかったか」
誘われて久しぶりに同僚たちと飲みに行った時だった。辰美は隣で酎ハイを飲んでいる後輩の上坂に尋ねた。
「ああ、買いましたよ。娘がピアノ習いたいって言うんで、もう仕方なく」
「ピアノって電子ピアノか? いくらぐらいなんだ?」
「うちが買ったのは電子ピアノです。大体五十万ぐらいのやつですかね。色々あったんですけど、嫁と娘がこれがいいっていうやつがあって、それにしました」
「結構高いな」
「これでも安い方ですよ」上坂はため息をついた。
上坂の給料はいくらか知らないが、まだ三十代のサラリーマンの給料など知れている。五十万のピアノを買おうと思ったらボーナスを数回分貯めないと無理だろう。
「でも、ピアノは教育にいいって言いますし、楽器がひとつぐらい弾けた方がいいじゃないですか」
「そういうものなのか?」
「そういえば課長、最近ピアノにハマってるって聞きましたけど、まさか買うんですか」
ピアノを、と上坂が言った。どうやら何か誤解しているらしい。
辰美はピアノを弾くつもりはない。だが、どれぐらいのものなのか気になっただけだ。決してMIYAに買おうとかそんなことは思っていない。いきなりピアノなんてプレゼントできないし、そんなことをしたら感謝を通り越して気持ち悪いと思われるだろう。ただの興味本位だ。
「そんなわけないだろう。俺はピアノなんて弾けないよ。聴くだけさ」
「いやでも、課長なら弾けそうな気がしますけど。みんな喜びますよお。課長がピアノ弾けるなんて知ったら」
「何を言ってるんだ。俺みたいなおじさんがピアノなんか弾けったって誰もなんとも思わないさ。第一、ドレミぐらいしかわからないんだ」
「は〜わかってないですね課長。課長はねえ、モテ────」
「ちょっと上坂君。酔っ払って課長に絡まないの」
有野が上坂の頭にビールジョッキをごつんと落とす。上坂は大袈裟に痛っと声を上げた。
「課長、酔っ払いの相手なんてしなくていいですからね」
「ひどいな。俺は課長の相談に乗ってただけだよ」
「相談?」
「課長がピアノに興味あるみたいだから色々教えてたんだよ」
「そういえば、最近ピアノを聞くって仰ってましたもんね」
「いや、本当に聞くだけなんだ」
なんだか噂が誇張されているような気がする。実際はMIYAのライブを観に行ったりCDを聞く程度で、それ以外は何もしていないし、ピアノのことなど何も分からない。
だが、上坂も有野もなんだか尊敬するような眼差しで見ているから困ったものだ。
「課長、ピアノなら六本木に素敵なピアノの演奏が聴けるお店がありますよ。もしよかったら是非行ってください」
「それは期待できそうだな」
「食事しながら生演奏が聞けるんです。この間友達と行ったんですけど、素敵でした」
辰美は思わずMIYAを思い浮かべた。MIYAはピアニストだからそういう店は好きだろうか。いや、もしかしたら演奏する側だから自分よりもよく知っているかも知れない。連れて行ったら喜ぶだろうか。有野もいいと言っていたし、女性ウケがいいのかもしれない。それなら────。
ついあれこれと妄想が働いてハッと我に帰る。
また自分は何を考えているんだ。MIYAを誘うかどうか以前、そもそもただのファンの分際で食事など誘えるわけもない。
大体、若いMIYAがそんなかしこまった店になど行くわけもない。こんな年上の誘いなんて応じるわけがないし、ドン引きされて出禁になるのがオチだ。
独り身の同僚はこれで気軽に飲み歩けるな、などと言って慰めたが、そんなことをしなくても今の辰美には楽しい趣味の時間があった。
「上坂君。そういえば君、最近娘さんにピアノを買ったって言ってなかったか」
誘われて久しぶりに同僚たちと飲みに行った時だった。辰美は隣で酎ハイを飲んでいる後輩の上坂に尋ねた。
「ああ、買いましたよ。娘がピアノ習いたいって言うんで、もう仕方なく」
「ピアノって電子ピアノか? いくらぐらいなんだ?」
「うちが買ったのは電子ピアノです。大体五十万ぐらいのやつですかね。色々あったんですけど、嫁と娘がこれがいいっていうやつがあって、それにしました」
「結構高いな」
「これでも安い方ですよ」上坂はため息をついた。
上坂の給料はいくらか知らないが、まだ三十代のサラリーマンの給料など知れている。五十万のピアノを買おうと思ったらボーナスを数回分貯めないと無理だろう。
「でも、ピアノは教育にいいって言いますし、楽器がひとつぐらい弾けた方がいいじゃないですか」
「そういうものなのか?」
「そういえば課長、最近ピアノにハマってるって聞きましたけど、まさか買うんですか」
ピアノを、と上坂が言った。どうやら何か誤解しているらしい。
辰美はピアノを弾くつもりはない。だが、どれぐらいのものなのか気になっただけだ。決してMIYAに買おうとかそんなことは思っていない。いきなりピアノなんてプレゼントできないし、そんなことをしたら感謝を通り越して気持ち悪いと思われるだろう。ただの興味本位だ。
「そんなわけないだろう。俺はピアノなんて弾けないよ。聴くだけさ」
「いやでも、課長なら弾けそうな気がしますけど。みんな喜びますよお。課長がピアノ弾けるなんて知ったら」
「何を言ってるんだ。俺みたいなおじさんがピアノなんか弾けったって誰もなんとも思わないさ。第一、ドレミぐらいしかわからないんだ」
「は〜わかってないですね課長。課長はねえ、モテ────」
「ちょっと上坂君。酔っ払って課長に絡まないの」
有野が上坂の頭にビールジョッキをごつんと落とす。上坂は大袈裟に痛っと声を上げた。
「課長、酔っ払いの相手なんてしなくていいですからね」
「ひどいな。俺は課長の相談に乗ってただけだよ」
「相談?」
「課長がピアノに興味あるみたいだから色々教えてたんだよ」
「そういえば、最近ピアノを聞くって仰ってましたもんね」
「いや、本当に聞くだけなんだ」
なんだか噂が誇張されているような気がする。実際はMIYAのライブを観に行ったりCDを聞く程度で、それ以外は何もしていないし、ピアノのことなど何も分からない。
だが、上坂も有野もなんだか尊敬するような眼差しで見ているから困ったものだ。
「課長、ピアノなら六本木に素敵なピアノの演奏が聴けるお店がありますよ。もしよかったら是非行ってください」
「それは期待できそうだな」
「食事しながら生演奏が聞けるんです。この間友達と行ったんですけど、素敵でした」
辰美は思わずMIYAを思い浮かべた。MIYAはピアニストだからそういう店は好きだろうか。いや、もしかしたら演奏する側だから自分よりもよく知っているかも知れない。連れて行ったら喜ぶだろうか。有野もいいと言っていたし、女性ウケがいいのかもしれない。それなら────。
ついあれこれと妄想が働いてハッと我に帰る。
また自分は何を考えているんだ。MIYAを誘うかどうか以前、そもそもただのファンの分際で食事など誘えるわけもない。
大体、若いMIYAがそんなかしこまった店になど行くわけもない。こんな年上の誘いなんて応じるわけがないし、ドン引きされて出禁になるのがオチだ。