託宣が下りました。
 顔の位置が近づきます。

 耳元に、騎士の慎重な呼吸があります。動揺しているわたくしとは真逆の、冷静沈着な呼吸。

 騎士の顔は見えませんでした。いえ、見る勇気がありませんでした。
 彼は今……何を考えているのでしょうか?

 カツーン……。

 足音が遠ざかっていきます。どうやら曲がり角を折れたようです。
 わたくしはほっと弛緩しました。これで解放される――。

 しかし。
 騎士は、わたくしを放しませんでした。

「……」

 雨の音が、遠くに聞こえていました。雨量がしだいに増えているようです。
 騎士が、小さく息をついたのが分かりました。

「……アルテナ」

 びく、とわたくしは震えました。こんな風にまともに名を呼ばれるのは初めてです――。

 騎士は、わたくしの耳元で、ゆっくりと囁きました。

「アルテナ。返事はしなくていいから、聞いてほしい」
「……」
「俺があなたを愛しているのは本当だ。どうか、それだけは分かってくれ」

 雨の音がしています。ザアザア。遠いのに、いやに大きく。

「それさえ分かっていてくれるなら……俺は何でも耐えられる。突き飛ばされようがにらまれようが、なんでもいいから」

 騎士の声は、どこか切なげでした。

「……他のどんなことにでも耐える自信はある。だが、この気持ちを否定されることだけは耐えられそうにないんだ」

 彼は、最後にぽつりと言い足しました。

 こんなことは初めてだ――と。

 わたくしは何かを言おうとしました。このままでは息苦しくて死んでしまいそうでした。頭の中が渦を巻いていて、自分が何を考えているのかさっぱり分かりません。

 そうしてようやく出たのは、我ながらろくでもない言葉でした。

「あ、あなたは、託宣を信じただけではないのですか」

 騎士はようやく少しだけわたくしから離れました。わたくしの顔をのぞき込める位置まで。
 暗闇の中でも分かる眼光。騎士は確信に満ちた強い口調で言いました。

「違う。俺は、あなたを信じたんだ」

 ――――。

 わたくしの胸が痛いほど強く、打って。

 ふいに騎士の顔がもう一度わたくしに近づきました。かと思うと、唇にやわらかなものが触れました。

「――ッ!」

 わたくしは――とっさに暴れるよりも、ただ身をすくめました。
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