ふたつ名の令嬢と龍の託宣
 しばらく異形が還った空間を見つめていたリーゼロッテは、ふと視線を感じてそちらをみやった。
 執務机でペンを握ったままのマテアスが、あんぐりと口を開けてこちらを見つめている。目を見開いているようだが、それでも相変わらずの細い糸目だ。何かあったのかとリーゼロッテはマテアスに向かってこてんと首をかたむけた。

「今ので十匹目だ。今日はもう終いにしろ」

 不意に頭の上から声をかけられる。見上げると、ソファの横にジークヴァルトが立っていた。

 ここはフーゲンベルク家のいつもの執務室だ。リーゼロッテは白の夜会の後、程なくして公爵家に移動した。社交界にデビューを果たしたからと、特に何が変わったわけでもなく、力の制御の特訓をしたり異形相手におしゃべりをしたり、以前とさほど変わらない日々を過ごしている。

 デビュー前と変わったことといえば、やたらとお茶会や夜会の招待状が届くようになったことだろうか。ダーミッシュ家に届いたリーゼロッテへの招待状は、そのままジークヴァルトの元へと届けられ、そのことごとくが却下され続けている。

(異形のことを思うと、ほいほい招待を受けるわけにはいかないものね)

 残念に思いつつも、そこは諦めの境地で受け入れているリーゼロッテだ。

 不意に横から「あーん」と菓子が差し出され、リーゼロッテは条件反射のようにそれを口にした。それから、迷いなくテーブルの上にある一口大のクラッカーを手に取り、それをそのまま隣に座ったジークヴァルトの口元へと持っていく。

「ヴァルト様、あーんですわ」

 ジークヴァルトも何も言わずに唇を開き、リーゼロッテは慣れた手つきでそれを口の中に押し込んだ。お互いにモグモグしながら見つめ合う。この一連の流れ作業に、リーゼロッテはもう慣れてしまった。

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