ふたつ名の令嬢と龍の託宣
戸惑いつつも部屋を出て、リーゼロッテは王女がいる庭へと急いで向かった。王女の呼び出しなら、怒られると分かっていても行くしかない。
「王女殿下、お呼びでしょうか」
「堅苦しいわね。クリスティーナでいいわ」
そう言いながら小さな穀物を庭に撒く。王女の機嫌は悪くなさそうだ。
(クリスティーナ様は随分と気さくな方ね)
ハインリヒ王子も思ったよりフレンドリーだったが、あの張り詰めた雰囲気に近寄りがたいものを感じてしまう。
「リーゼロッテ、あなたアルベルトが行くと、確認もせずに扉を開けるそうね?」
「あ、はい、アルベルト様はいつも決まった時間に来てくださいますから」
「公爵が心配するのもよく分かるわ」
たのしそうに笑われて、リーゼロッテは困惑顔で曖昧な笑みを返した。この東宮には限られた人間しかいない。それも入ることを許された厳選された者たちだ。
「あなたのここでの生活を、根掘り葉掘り聞いていったそうよ? ねぇ、アルベルト」
「否定はいたしません」
事務的に返したアルベルトを思わず見やる。視線が合うと、目だけで笑みを返された。
「も、申し訳ございません……ジークヴァルト様は少し心配性なところがあって」
「いいのよ。大事にされている。そういうことでしょう?」
「はい……」
ここ最近、ジークヴァルトのせいで、穴があったら入りたい事態に陥ってばかりだ。
「ほら、マンボウ。遠慮しないであなたもお食べなさい」
「マンボウ?」
突然出てきた海の生物に、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。王女の視線の先にいたのは、毎朝耳に痛い雄叫びを上げる、あの大きな鶏だった。近くで見るとものすごく逞しい。ほかの鶏に比べると、ひと回りもふた回りも大きく見えた。
「オッオッオッ、オエーッ!」
王女が餌をばら撒くと、うれしそうに地面を啄み始める。
「この鶏の名はマンボウというのですか?」
「ええ、そうよ。可愛らしいでしょう?」
この国の言葉基準では可愛いのだろうか? いまいち判断がつかなかったが、リーゼロッテは素直に頷いた。マンボウはゆったりと海を漂うイメージだ。可愛いと言えば可愛い気がしてきた。
しかし見た目はめちゃくちゃ強そうだ。模様なのだろうが、目の上にキリリとしたと太眉が描かれていて、それがまた精悍さに拍車をかけている。
(マンボウというよりケンシ〇ウね……)
そんな脳内突っ込みに、ひとり口を綻ばせた。
「公爵はマンボウにあっさり通されたようね」
「はい、公爵様の一瞥で、マンボウは震え上がっていましたから。勝負にもならなかったようです」
「あらそう、つまらないわ」
王女とアルベルトの会話に目を見開く。
「もしかして……東宮の恐ろしい門番とは、このマンボウのことなのですか?」
「ええ、そうよ。せっかく血みどろの戦いが見られると思ったのに」
「クリスティーナ様……」
非難めいた声に王女は涼やかな笑い声をあげた。
「冗談に決まっているでしょう? ね、マンボウ」
王女の呼びかけにマンボウは「オエっ」と鳴き返す。
「マンボウはそんなに凶暴なのですか?」
「男相手にはね。あなたに危害を加えることはないわ」
「わたしも初対面からひと月、コレとは死闘を繰り返しました」
アルベルトがしみじみと頷いた。真面目そうな彼が冗談を言うとは思えない。きっと嘘ではないのだろう。
「マンボウはおじい様に頂いた鶏なのよ」
クリスティーナが懐かしそうに目を細めた。王女の祖父と言えば前王のフリードリヒだ。民思いの王だったと、リーゼロッテは教えられていた。
「ねえ、リーゼロッテ。あなたはシネヴァの森についてどれだけ知っていて?」
「シネヴァの森……」
クリスティーナはいつも話が唐突だ。少し考えてからリーゼロッテは口を開いた。
「以前、ハインリヒ王子殿下にお伺いしたことがございます。森には巫女様がいらっしゃると。ですが子供のころには、森には魔女が住むと聞かされておりました」
「魔女……そうね、ほんとその通りだわ」
「ですが、巫女様は殿下のご血縁の方だと……」
困ったように返すと王女はくすりと笑う。
「森の巫女はね、わたくしの大おばあ様よ。高祖伯母なの」
「高祖伯母……」
祖母、曾祖母、高祖母、と数えていって、リーゼロッテはそれがどんな関係かを考えてみた。しかしさっぱり分からない。
「高祖母の姉よ。祖父の祖母の姉ね」
(ひいおばあさまのお姉様ということかしら……? ん? ひいひいおばあさまのお姉様?)
考えるほどに何が何だか分からなくなる。とにかくものすごく高齢なことだけは理解した。
「婚姻の託宣を受けた者は、必ずシネヴァの森に向かうことになる。あなたたちもいずれ行くことになるでしょうから、今からたのしみにしておくといいわ。どうして大おばあ様が『魔女』と呼ばれるのか、それが分かると思うから」
しわくちゃで鼻曲がりの老婆をイメージしながら、リーゼロッテは神妙に頷いた。
「王女殿下、お呼びでしょうか」
「堅苦しいわね。クリスティーナでいいわ」
そう言いながら小さな穀物を庭に撒く。王女の機嫌は悪くなさそうだ。
(クリスティーナ様は随分と気さくな方ね)
ハインリヒ王子も思ったよりフレンドリーだったが、あの張り詰めた雰囲気に近寄りがたいものを感じてしまう。
「リーゼロッテ、あなたアルベルトが行くと、確認もせずに扉を開けるそうね?」
「あ、はい、アルベルト様はいつも決まった時間に来てくださいますから」
「公爵が心配するのもよく分かるわ」
たのしそうに笑われて、リーゼロッテは困惑顔で曖昧な笑みを返した。この東宮には限られた人間しかいない。それも入ることを許された厳選された者たちだ。
「あなたのここでの生活を、根掘り葉掘り聞いていったそうよ? ねぇ、アルベルト」
「否定はいたしません」
事務的に返したアルベルトを思わず見やる。視線が合うと、目だけで笑みを返された。
「も、申し訳ございません……ジークヴァルト様は少し心配性なところがあって」
「いいのよ。大事にされている。そういうことでしょう?」
「はい……」
ここ最近、ジークヴァルトのせいで、穴があったら入りたい事態に陥ってばかりだ。
「ほら、マンボウ。遠慮しないであなたもお食べなさい」
「マンボウ?」
突然出てきた海の生物に、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。王女の視線の先にいたのは、毎朝耳に痛い雄叫びを上げる、あの大きな鶏だった。近くで見るとものすごく逞しい。ほかの鶏に比べると、ひと回りもふた回りも大きく見えた。
「オッオッオッ、オエーッ!」
王女が餌をばら撒くと、うれしそうに地面を啄み始める。
「この鶏の名はマンボウというのですか?」
「ええ、そうよ。可愛らしいでしょう?」
この国の言葉基準では可愛いのだろうか? いまいち判断がつかなかったが、リーゼロッテは素直に頷いた。マンボウはゆったりと海を漂うイメージだ。可愛いと言えば可愛い気がしてきた。
しかし見た目はめちゃくちゃ強そうだ。模様なのだろうが、目の上にキリリとしたと太眉が描かれていて、それがまた精悍さに拍車をかけている。
(マンボウというよりケンシ〇ウね……)
そんな脳内突っ込みに、ひとり口を綻ばせた。
「公爵はマンボウにあっさり通されたようね」
「はい、公爵様の一瞥で、マンボウは震え上がっていましたから。勝負にもならなかったようです」
「あらそう、つまらないわ」
王女とアルベルトの会話に目を見開く。
「もしかして……東宮の恐ろしい門番とは、このマンボウのことなのですか?」
「ええ、そうよ。せっかく血みどろの戦いが見られると思ったのに」
「クリスティーナ様……」
非難めいた声に王女は涼やかな笑い声をあげた。
「冗談に決まっているでしょう? ね、マンボウ」
王女の呼びかけにマンボウは「オエっ」と鳴き返す。
「マンボウはそんなに凶暴なのですか?」
「男相手にはね。あなたに危害を加えることはないわ」
「わたしも初対面からひと月、コレとは死闘を繰り返しました」
アルベルトがしみじみと頷いた。真面目そうな彼が冗談を言うとは思えない。きっと嘘ではないのだろう。
「マンボウはおじい様に頂いた鶏なのよ」
クリスティーナが懐かしそうに目を細めた。王女の祖父と言えば前王のフリードリヒだ。民思いの王だったと、リーゼロッテは教えられていた。
「ねえ、リーゼロッテ。あなたはシネヴァの森についてどれだけ知っていて?」
「シネヴァの森……」
クリスティーナはいつも話が唐突だ。少し考えてからリーゼロッテは口を開いた。
「以前、ハインリヒ王子殿下にお伺いしたことがございます。森には巫女様がいらっしゃると。ですが子供のころには、森には魔女が住むと聞かされておりました」
「魔女……そうね、ほんとその通りだわ」
「ですが、巫女様は殿下のご血縁の方だと……」
困ったように返すと王女はくすりと笑う。
「森の巫女はね、わたくしの大おばあ様よ。高祖伯母なの」
「高祖伯母……」
祖母、曾祖母、高祖母、と数えていって、リーゼロッテはそれがどんな関係かを考えてみた。しかしさっぱり分からない。
「高祖母の姉よ。祖父の祖母の姉ね」
(ひいおばあさまのお姉様ということかしら……? ん? ひいひいおばあさまのお姉様?)
考えるほどに何が何だか分からなくなる。とにかくものすごく高齢なことだけは理解した。
「婚姻の託宣を受けた者は、必ずシネヴァの森に向かうことになる。あなたたちもいずれ行くことになるでしょうから、今からたのしみにしておくといいわ。どうして大おばあ様が『魔女』と呼ばれるのか、それが分かると思うから」
しわくちゃで鼻曲がりの老婆をイメージしながら、リーゼロッテは神妙に頷いた。