ふたつ名の令嬢と龍の託宣

番外編 その先のひかり ※第4章第17話「時、満ちて」直後のアルベルト目線のお話

 何の感慨も湧いてこなかった。
 こんな日が来ることは分かっていたはずなのに、やけに遠くに思える自分の手を、アルベルトはじっと見つめていた。

 (とむら)いの(かね)鈍色(にびいろ)の空に響いていく。
 ひと筋立ち昇る白い煙は、王女が荼毘(だび)に付されたしるしだ。あの美しい髪も肌も瞳も。炎に焼かれ、すでに灰になっただろうか。

 その背を追いかけることもない。こちらを振り向き、(すみれ)色の瞳が細められることもない。ひとを小馬鹿にしたような、たのしげな笑い声も耳に届かない。あの唇が、自分の名を呼ぶことも二度とない。

 永遠に失われてしまった。自分だけの気高い王女――

 護衛の任を解かれ、正式にはまだ貴族の籍を授かっていないこの身だ。葬儀に参列することも許されず、与えられた一室で時間だけが過ぎていく。

 今日もあの鐘が鳴らされる。ろくに食べず、飲まず、眠ることもできなくて、何の意味も持たない手のひらを、遥か遠くの何かのようにただ見つめ続けた。

 自分は何者なのだろうか。なぜここにいるのだろうか。糸の切れた(たこ)のように、どこにも行けない精神(こころ)があてどもなく彷徨(さまよ)った。
 テーブルに置かれた果物ナイフが目に入る。あの銀の刃を首に押し当てひと掻きすれば、それですべてが終わるだろう。

 扉を叩く音がした。薄暗い部屋でじっとしている自分を薄気味悪がって、城仕えの者はほとんど寄りつかない。乱暴な足取りで誰かが入ってくる。手入れも忘れた無精ひげを見て、その男は不愉快そうに顔を歪ませた。

「おい、アルベルト。お前、ちょっと(つら)ぁ貸せ」

 やってきたのは大公バルバナスだった。引き連れていた王城騎士に半ば連行されるように、どこか一室に通された。

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