ふたつ名の令嬢と龍の託宣 -龍の託宣1-
 『速い馬』というのなら、ジークヴァルトがいつも乗っている青毛の牡馬(ぼば)の方がよほど足が速かった。その馬に乗ってこなかったのは、気性が荒いその馬ではリーゼロッテが怖がるかもしれないと思ったからだ。

 夜勤明けで早朝公爵領に戻ってきたジークヴァルトは、夕べのうちに届いていたリーゼロッテの手紙を読んで、慌てて先ぶれの手紙を書いた。それを先に伝令に届けさせ、自分は公爵領のやるべき最低限の仕事を済ませて、すぐさまダーミッシュ領まで馬を駆った。

 無意識に選んだ馬は、比較的足が速く、誰にでも人懐っこく性格の穏やかなこの牝馬(ひんば)だった。夕べは一睡もしていないが、早駆けの馬で四時間はかかる道のりを、三時間足らずで移動した。

 ジークヴァルトもなぜそんな突発的な行動に出たのか、自分でもよくわからなかった。

 ただ、リーゼロッテを馬に乗せるのが、自分以外の誰かであることが、なぜだか無性に許せなかったのだ。

 その衝動にかられ、気がついたらさらうようにリーゼロッテを自分の馬の背に乗せていた。本来なら、今日ダーミッシュ領に来る予定などなかったはずなのに。

 今日やるべき仕事のほとんどは、従者のマテアスに押し付けてきた。今頃は書類の山に埋もれてジークヴァルトに悪態をついているだろう。

 ジークヴァルトは自分の腕の中にいるリーゼロッテをじっと見やった。

 彼女はいつでもあたたかく柔らかくて、ほのかにいい匂いがする。思わず手を伸ばしてしまう蜂蜜色の髪は、指どおりがよくいつまでも触っていられる。時折じっと見つめてくる大きな瞳は、いつ見てもエメラルドのように輝いていた。


(オレは一体何をやっているのだ……?)

 麗らかな風が吹く花畑の真ん中でリーゼロッテの髪を梳きながら、ジークヴァルトはそんなことを思っていた。


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