意地悪な副社長との素直な恋の始め方

お互い、このままベッドへなだれ込み、なし崩しに抱き合えば、言葉はいらないとわかっていた。

でもそれでは、いつかまた、わたしの悪癖がぶり返す。

苦手なことは後回しにし、面倒なことからは逃げ出して、結局素直になれないまま、無理やり不安を胸の奥底に押し込め、目を逸らし――。

そうして、朔哉の気持ちも、自分の気持ちも、何もかも見えなくなってしまう。


手っ取り早く仲直りするのは、次からでいい。
今夜は、何かをごまかしたり、何かに目をつぶったりせず、ちゃんと向き合って、話がしたい。

わたしはゲストルーム、朔哉は寝室のバスルームでシャワーを浴びることにして、暴走しかけた欲望を冷ます。

リビングへ再び戻れば、先にシャワーを終えていた朔哉が、缶ビール片手にスマホを操作していた。

Tシャツにスウェットパンツ姿の朔夜は、引き締まった身体つきがはっきりわかる。
濡れてくしゃくしゃに乱れた髪のせいか、リラックスした雰囲気が、スーツ姿の時とちがった色気を醸し出していた。


(目の毒でしかない……)

「偲月も飲みたいなら、冷蔵庫にある」

「ううん、いらない。お水もらう」


アルコールが入ったら、ただでさえ激しい動悸が一層激しくなって、呼吸もままならなくなりそうだ。

冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターをペットボトルを一本取り出そうとして、庫内に食材らしい食材が一切入っていないことに気がついた。

朔哉は、もともと料理はしないけれど、外食、コンビニ弁当続きか、もしくは何も食べていないのかもしれない。


「ねえ、朔哉。ちゃんと食べてるの?」

「夜は、ほぼ接待か会合で、カロリーが高い食事だから、朝と昼を抜いてもプラマイゼロだろ」

「そういう問題じゃないでしょ。規則正しい生活自体が大事なんだから」

「わかってる。でも、この時期はしかたがないし、睡眠は確保できているから大丈夫だ」

「休みは?」

「週に一度は、予定を入れないようにはしている。突発的な事態が起きれば、対応しなくてはならないが。今年は、株主総会が終わっても、『ザ・クラシック』のリニューアルオープンがあるし、秋まで忙しさは続くだろうな」


朔哉が口にした『ザ・クラシック』の名に、ずっと訊けずにいたことを訊くなら、朔哉の気持ちを確かめるなら、いましかないと思った。

でも、どうやって切り出せばいいのか。

面と向かって話すのは気まずいし、わたしも朔哉も、「芽依」が関わると冷静ではいられない。
ヒートアップしたら、売り言葉に買い言葉、言わなくてもいいことまで言ってしまいそうだ。

考えあぐね、視線をさまよわせた先で、朔哉の右腕に薄っすらと残る傷痕を見つけた。
その傷痕と濡れたままの黒髪に、ここで暮らしていた日々を思い出す。


「ねえ、髪。乾かしてあげようか?」


断られるかもしれないと思ったが、朔哉はあっさり頷いた。


「頼む」

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