意地悪な副社長との素直な恋の始め方
せっかく平穏無事に過ごしてきたのに、副社長と一緒に出勤するところを社員に見られたら、噂されるのは確実だ。
わざわざ、波乱万丈な人生を選びたくない。
そんなことになるくらいなら、潔く遅刻する。
ところが、朔哉はこちらに鞄を押し付けて、スタスタと玄関へ向かう。
「行くぞ」
「え、朔哉! ちょ、ま、待ってってばっ!」
しかたなく朔哉を追いかけ、一緒のエレベーターに乗り込む。
「おはよう、偲月ちゃん」
エントランスを出たところに停まっていた黒塗りの高級車。助手席から顔を覗かせたのは夕城社長――元継父だった。
「お……おはよう、ございます」
「さ、乗って!」
「は、はい……ありがとうございます」
にっこり笑う元継父を前に、逃亡を断念した。
「ところで、体調は大丈夫?」
後部座席に乗り込むなり、訊ねられる。
「あ、はい。おかげさまで……あの、いろいろとありがとうございました」
「お礼を言われるようなことは、何もしてないよ。むしろ、朔哉の世話を押し付けてしまって、申し訳ない。大変でしょう? ワガママで」
「い、いえ、そんなことは……」
「仕事でまで面倒を見るなんてイヤだとは思うけれど、よろしくね?」
「え? あの……仕事って?」
話が見えず、困惑するわたしに、夕城社長は「心配無用」と優しく笑う。
「秘書業務は、通常どおり常勤の秘書がこなすから心配いらない。偲月ちゃんには、あくまでも、動作が不自由な朔哉をサポートしてほしい。しばらくは、キーボードを打つのも、メモを取るのもままならないからねぇ」
「あのっ……」
説明してほしいと要求する前に、朔哉が不足していた情報を補った。
「偲月には、今日から俺の秘書になってもらう」
「え? 秘書?」
思わず身体ごと横に座る朔哉を振り返った。
「冗談でしょ。わたしに務まるとは思えないんだけど」
「オヤジも言ったように、アポイントメントの対応やスケジュール管理といった、本来の秘書業務をさせるつもりはない。もともと専属秘書は置かない方針でやってきたし、実務はいまの秘書課内のスタッフで十分対応できる」