偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
「あの、上田様」


「ねえ、斎田さん。私が櫂くんの元婚約者って知ってた?」


待合室に響くBGMにすらかき消されそうなほどの小声が真っ直ぐ私の心を貫く。


「いえ……」


「あら、櫂くんは言ってなかったのね。一方的に破棄されたようなものだし仕方ないかしら?」


小さく嘆息をつく姿は、心から悲しんでいるようにも見える。


「マスク、これにするわ」


口角を上げて、彼女は私に商品を渡す。

なにを言えばいいかもわからず、私は事務的にレジに入り会計を済ませる。


「ありがとうございました」


「斎田さん、申し訳ないんだけど、寄りたい場所があって道を教えてほしいの。ちょっと一緒に外に来てくれない?」


困っている来店者を断るわけにはいかない。

同僚に目で合図して返答する。


「はい」


歩道に足を踏み出す。

背後で自動ドアが閉まる音がした。


「どちらに向かわれるのですか?」


できるだけ早く、この女性と離れたい。

そもそも私の勤務先や勤務時間をどうやって調べたのか。

仕事を邪魔されているように感じる私は狭量なのだろうか。


「そんなの口実に決まってるでしょ。すぐ近くに車を待たせてあるもの」


なにを言ってるの、といわんばかりの胡乱な視線を向けられる。

口元だけは微笑んでいて、傍から見れば仲良く談笑しているように見えるだろう。
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